音がなった
今日は、法事でした。
一年って早いですね。
夫氏の実家は、神道。
でも、葬儀って何度もあるわけではないし、その時の状況や立場で対応する事も変わってくるから…。結局は、誰も何も知らないままその時にわかるなんて事がたくさんあって…。
その知らないわからないその日、今日・一年祭(仏教でいう一周忌)でした。
玉串を故人に捧げて、柏手を打つ。
知らなかったから、今日まで忍び手(音を鳴らさない拍手)。
神主さんが柏手を打って、
「あっ!音がなった!」と思わず思いました。
その瞬間に扉が開かれた気がして…。
あぁ、喪が開けたんだ…。
そんなふうに…。
柏手と忍び手の意味… 調べてはみたけれど、あまりピンと来ず…。
それでも体感的に、この1年の音がなかったような世界と… これから開かれる音が聞こえてくる世界との合図のような気がしました。
神さまとの?仏さまとの?
不思議な合図って、これ以外にもありますよね。
注:忍び手は、五十日祭(仏教でいう四十九日)を過ぎた後は柏手になる説と一年祭(仏教でいう一周忌)を過ぎた後から説があるようです。
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