見出し画像

8/6 ディズニーランド

夢と冒険の国、ディズニーリゾート。ランドの方に行ってきた。
多くのアトラクションに乗ったり、キャラクターと写真を撮ったり。
やっぱり私は、あの世界が好きだ。

ディズニーは、どの年齢層も楽しめるという。大人は現実を知っているからこその夢の世界の美しさに惹かれ、子供はその夢の世界の中から夢を見出すと、どこかの本で見た気がする。私はその中間みたいなもので、どちらも楽しんだ気がする。現実をそこそこ知りつつ、だけども夢の国の中にある夢と冒険が現実にもあるのではないかという期待を持つ年齢だからこその体験を書ければいいなぁなんて思ったり。

私が感じたことは、ディズニーリゾートは常に夢と冒険を与え続けた場所であるということだ。

リニューアルされたイッツ・ア・スモールワールドを見ていて思った。かわいい世界観のほかに、世界には様々な人がいると気づかせてくれる仕組みになっているなぁ、と。寒い国の子供たちがいれば、暑い国の子供たちがいるということ。音楽を楽しんだり、それぞれの文化の舞踏をしたり。ディズニーのキャラクターのみならず、世界中の文化をいろんな人に伝えたいという気持ちが伝わってきた。それは決してデザイン的なものからではなく、文字からも伝わってくる。日本語だけでなく、中国語、英語にとどまらず、韓国、ロシア、アラビアと、実に様々な文字で迎えてくれるイッツ・ア・スモールワールド。それは子供たちにとって未知との遭遇であり、気付きであり、冒険である。その文化それぞれに好き嫌いはあれど、いい悪いはない。

話はそれるが、私はずっと文化を大切にする意味を考えてきた。どうして故郷の文化は継承しなければならなかったのか。そこまでして伝えたいものなのか。その答えが、イッツ・ア・スモールワールドに隠されていたのだ。いや、ディズニーランドすべてがそうだ。たくさんの文化があって、過去、現在、未来の文化のエリアがあって、そのすべてが素晴らしいということ。美しいということ。文化を次の世代に引き継いでいくことは、多様性の許容であり、互いに認め合うことではないか。

ディズニーに戻るが、夜のパレード「Celebrate! Tokyo Disneyland」では、ディズニーランドのアトラクションをイメージしたプロジェクションマッピング(なのかはわからないけれどシンデレラ城に映されていた)や、きらびやかな照明が印象的だった。今でも引き継がれているウォルト・ディズニーの願い。1966年に亡くなり、それでも今なお、彼の願いは今のディズニーリゾートに引き継がれている。夢と冒険を、ディズニーランドは35周年与え続けた。世界にはいろんなものがあるという夢、それに出会う冒険の数々。人生というのは時に急落下してしまうときもあるけれど、決して悲しいことばかりじゃない。一筋の光、ハピネスがそこにある。

文化を伝え続けること、それは先人の祈りを引き継ぐことだと私は思う。願いなんて、祈りなんてと思うかもしれないが、それよりも大切にしたいのは確かにそこに願った思いや、祈った気持ちがあるということ。それを伝えずに無くしてしまえば、もう幸せはないと決めつけてしまうかもしれない。「このときはこういう悲しいことがあった。だからこうしたら幸せが見つけられた」そんな思いがこもっているのが、文化であり、その文化を伝えることは、時に人を支える。

素敵な場所だなと思う。そこで働く人も素敵だなと思う。最初に、夢と冒険を与え続けると言ったが、違うかもしれない。働く人、キャストは、常に笑顔だった。誰かに幸せを与えるのではなく、一緒に楽しもう、幸せを共有しようよ、というスタンスである気がした。与えるのではなく、シェアする、と言った方が正しいかな。

そんなこんなで、とっても楽しむことができました。