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2021年の『ヴェネチアの紋章』。ヴェネチアの海は深いブルー。

 雪組全国ツアーの初日に行ってきました。彩風咲奈、朝月希和の新トップコンビのプレお披露目となる日。客席に入る前に拍手が鳴っていて、もしや、と思ったら、望海風斗さん、真彩希帆さんの前トップコンビがそろって客席に座っていらっしゃる。なんとも心強い船出。みんな、うれしかっただろうなあ。

 だいもんもまあやさんも、在団中とちっとも変わらない雰囲気。客席からさっそく雪組の舞台を楽しんでいるようでした。だいもんの、何事においてももったいつけたり思わせぶりなことをしないところが好きです。

 咲ちゃんも、カーテンコールのときなんか、本当はだいもんたちのほうを見たりしたいだろうに、お客さまファーストを貫いて。でも、一回くらいチラッと見たかな。どこまでも生真面目なのが雪組らしい。
 と思うや否や、『fff フォルティッシッシモ』のあのくだりが蘇る。

ベートーヴェン「勉強が好きか?」
ナポレオン「好きだ!」
ベートーヴェン「私もだ!」

 この人たちが好きだ!

なつめさんの『ヴェネチアの紋章』

 初演は大浦みずき、ひびき美都のサヨナラ公演のための演目。大劇場が1991年6月28日~8月6日。東京宝塚劇場が11月3日~29日に上演された。わたしは5回くらいは観た気がする。でも、おぼろげな記憶しかないから、違っているかもしれない。

 作品には、実はあまりいい印象は持っていなかった。もちろん大浦みずきさんはこの上なくすてきだったけど、「なつめさんのよさはこんなもんじゃない」「説明が多くて盛り上がらないまま終わっちゃう」「アルヴィーゼってこれでいいの?」「元々はマルコが主人公だから無理があるのかな」「柴田先生らしさがあまりないなあ」「舞台劇にするのは難しい作品なのかも」「モレッカのよさがわからない」「でも、なつめさんが塩野七生作品をやりたかったんだもんね」「でもでも『ジャンクション24』があるから」…てなことを30年前のわたしは思っていた。作品の細部は忘れてしまっても、こういう印象って、なんでちゃんと残っているんだろう。舞台というものの恐ろしさを感じる。

 そんなわけで、彩風咲奈、朝月希和のプレ・トップお披露目の演目が『ヴェネチアの紋章』と知ってからは、複雑な気持ちも大いにあった。日向薫さんの『炎のボレロ』に引き続き、なつめさんの演目を演るのはとてもうれしかったけど、心配は拭いきれず…。そんな中で初日の幕は上がった。

 いやあ、曲が新しくなるとは聞いていたけど、作品がここまで変わっているとは! 
 2021年版『ヴェネチアの紋章』は、のっけから重厚な雰囲気。初演は、陽気で明るいプロローグがあり、「ヴェネチアの空は蒼く ヴェネチアの水は豊か 白い大きな帆に風受けて サンマルコの港から船が出る」と、明るい主題歌が歌われるのだけど、この主題歌はどこにも出てこない。寺田瀧雄メロディーが玉麻尚一メロディーに。ヴェネチアの空は、蒼は青でも、空色や青色だったのが、黒みを含んだ紺青とか瑠璃色に変わっていた。
 この30年で地球環境も社会も変わってしまったしな。驚いたけど、ここまで大胆に変わっていると、いっそ清々しささえ感じる。

 新しい『ベネチアの紋章』は、たぶん、柴田先生の書いた脚本には忠実。けれど、歌とダンスのナンバー、さらに、装置と衣装がほとんど新調されているので、全体がまったく違った印象になっている。ラストも『うたかたの恋』のようなロマンチックな方向に変わっていた。
 塩野七生作品を宝塚化したのが初演の『ヴェネチアの紋章』だったとすれば、演出・振付の謝珠栄さん版は、オペラ風の作品にリメイクした感じか。明るいナンバーがなくなって、プロローグとエピローグは憂愁を帯びた演出になり、アルヴィーゼとリヴィアの悲恋的な側面が強くなっている。
 そして、衣装とセットの仕上がりがとても良い。出演者もみな好演だ。役が多く、主要キャスト以外にも細やかに見せ場が設けられているのもうれしい。
 新しく仕立て直したことで、彩風さんのスタイルのよさ、衣装の着こなし方、ダイナミックな身のこなし、ダンスはより目立つし、何より、古い宝塚作品になじみのない人たちにはきれいにまとまって見やすくなっていることと思う。 

 だけど、ナンバーがここまで変わってしまうのはやはりさびしい気持ちもあって、見終わってからそれがじわじわ押し寄せてくる。時間の都合はあるにしても、主題歌はどこかで使ってほしかった。音楽著作権が複雑になるんだろうか。まあ、新曲との座りが悪かったんだろうな。

ほんものの紋章

 新演出と雪組の演者たちによる、新しい『ヴェネチアの紋章』は、むしろ初演よりも楽しんで観たのだけど、アルヴィーゼの生き方に感じた違和感は、30年前に観たときよりも大きくなってしまった。

 この30年で変わったのは地球環境や社会だけではない。まだまだ遅い歩みとはいえ、女性の意識も大きく変わっている。ここまで作品に手を入れるのなら、オペラ風に美しくアレンジして遠い過去の物語という箱に押し込めるのではなく、2021年の日本に暮らす女性がこの物語をどう感じるかということも考えてほしかったと思う。

 アルヴィーゼが自分の出自の象徴である「紋章」にこだわり続けて迷走していったこと。リヴィアの決死の忠告に耳を貸さず、自滅の道を選んだこと。慕ってついてきてくれる仲間も道連れにしてしまったこと。そして、その愚かな振る舞いを作品は否定しない。それはダメでしょう。

 原作の小説では納得できる。なぜって、塩野七生さんの書いた《小説イタリア・ルネサンス 1 ヴェネツィア》は歴史小説であり、アルヴィーゼとリヴィアの物語ではないから。二人の生き方に対する判断は、マルコという語り手を通じて、読者に委ねられる。

 初演当時、なつめさんが塩野七生作品の熱心な読者であることはよく知られていた。なつめさん本人の意向かどうかはわからないけど、それもあって舞台化へと動いていったのだったと思う。

 30年前にわたしが『ヴェネチアの紋章』という作品を楽しめなかったのは、当時の自分に舞台から大きな物語を読み込み、見こなす力がなかったのはもちろんだけど、95分という時間枠に押し込めるには、原作の物語が大き過ぎたのかもしれない。

 では、30年前に柴田先生は『ヴェネチアの紋章』をどうすればよかったのか。マルコが主役でよかったんじゃないかな。2021年の視点で見ると、先に書いたように、アルヴィーゼはいくつもの間違った選択をしている。たとえば、ものすごく単純化すると、時代とヴェネチア共和国がアルヴィーゼをそうさせてしまったのだということになると思うけれど、なんらかの形でほのめかせてほしかったと思う。できれば、アルヴィーゼ自身が振り返るようなかたちがいい。たとえば、小池修一郎が『華麗なるギャツビー』のラストで、「朝日が昇る前に」という曲に託したように。

 ところで、2021年の『ヴェネチアの紋章』を観て、マルコってつまり、『華麗なるギャツビー』のトム・ブキャナンなんだなと思ったのだけど、《'91 宝塚歌劇前主題歌集》を引っ張り出してみたら、意外なことがわかった。この年に大劇場で『ヴェネチアの紋章』の次に上演されたのは、雪組『華麗なるギャツビー』だったのだ。

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 そうか、『ヴェネチアの紋章』が上演されたときは、『華麗なるギャツビー』が上演を待っているときだったのか。あったかもしれない世界を想像してみる。これ、小池先生が一本ものにしていたら、どんな作品になっていたんだろう。

あったかもしれない世界の話

 振り返るに、『華麗なるギャツビー』のような不思議な物語を宝塚歌劇の作品として成立させてしまったのはすごいことだったんだと改めて思う。この作品、その後の宝塚歌劇の作品に大きな影響を与えたのではないだろうか。そして、それは柴田作品にも及んだのでは…。

 今回再演されるにあたって原作を読んでみたら、めちゃくちゃ面白く、作品世界が立体的になっていった。それで思ったのは、アルヴィーゼとリヴィアは「ロミオとジュリエット」だったということ。ロミオとジュリエットが1週間で駆け抜けた恋を、アルヴィーゼとリヴィアは10年間かけて貫いたのだ。

 そう考えると、やはり初演みたいに、出会った頃の二人を見てみたかったという思いが大きくなる。咲ちゃんが出演した作品中、咲ちゃんらしくて一番といっていいくらいに好きなのが『ロミオとジュリエット』新人公演のロミオなんだけど、あのときのロミオみたいな若き日のアルヴィーゼをほんの一瞬でも見てみたかった。いや、あれは出会った頃の二人だったのかな。
 アルヴィーゼとリヴィアも、ロミオとジュリエットが「名前に意味はない」と、名前を捨てようとしたように、「紋章」への思いを断ち切れたらよかったのになあ。でも、それができなかったのがあの時代のヴェネチア…。
 本当に、一本物で作ることができたらよかったのになあ。いや、なつめさんのサヨナラ作品にショーなしなんてありえないから、そもそもそれは無理だったんだけど…。

 あったかもしれない世界の話。結論のない、とりとめもない追想モードになってしまった。

 でも、再演されたからこそ、生まれ変わった『ヴェネチアの紋章』を楽しみ、過去の『ヴェネチアの紋章』をも見直すことができたのだ。これはすごいことかもしれない。

 今の自分で30年前の『ヴェネチアの紋章』を観ることができたら! 当時の自分には見えていなかったことがたくさんあると思う。《'91 宝塚歌劇前主題歌集》を聴くだけで、なつめさんの声の深みに今さらやられていて、今さらながら、当時、なつめさんはどんなことを考えながら、あの役を演じていたのだろうと考える。そして、いま、なつめさんが生きていたらと…。あの頃のわたしは、舞台を全然味わえていなかった。
 でも、そういうさまざまな思いが、余計に『ヴェネチアの紋章』気分にしてくれているのかもしれない。いや、逆か。『ヴェネチアの紋章』がせつない気分にさせるのか。

2021年の『ヴェネチアの紋章』

 新しくなった『ヴェネチアの紋章』を楽しく観ることができたのは、やはり彩風咲奈さんの存在によるところが大きい。衣装が映えること。歌も芝居も、無理せずのびやか。そしてダンス。モレッカもとってもよくなって(かつてのわたしに分かっていなかっただけかもしれないけど)、この振付でなつめさんにも踊ってほしかったと思ったくらい。この『ヴェネチアの紋章』は、謝珠栄先生のリベンジだったのかもしれませんね。

 リヴィアの朝月希和さん。個人的な好みを書くなら、もう少し、強さを全面に出してもよかったんじゃないかと思うけれど、とても優美で、ドレスがよく似合っていてすてきでした。

 マルコの綾凰華さん。綾さんは、誰かと対話をしているとき、自然にお芝居できていてとてもいいなと思った。一人の場面はちょっと手に汗握ってしまったけど、こういうのは舞台でだんだんとものにしていくのだろうなと思う。リヴィアの娘とのことを告白するラストはかなり唐突で、ちょっと気の毒だった。台本を変えることはできないのかもしれないけれど、匂わせるくらいにしておいたらよかったのにな。ゴージャスな衣装も貴族っぽくて似合っていました。

 オリンピアの夢白あやさんが、ゴージャスで貫禄もあって、めちゃくちゃカッコよかった。マルコとオリンピアがオリジナルの役なのだけど、この二人には塩野さんが自身を投影しているようです。こちらの塩野七生さんのインタビューに出てきます。この塩野さん、めちゃくちゃカッコよくて、今更ながらに、なつめさんが演じたかったものが見えてくる気がします。

 はぐれ鳥の三人(諏訪さき、眞ノ宮るい、彩海せら)の場面が楽しかった。諏訪さきさんは歌でも芝居でも安心して見ていられるし、全国ツアーでいつもひときわ目を引く眞ノ宮さんは本当に顔が強い。もう「全ツの女王」と言っても良いと思う。彩海さんが少し引いた感じに映ったけど、今回は芝居、ショーともに、新人公演をできなかった学年の子たちを優先した恰好なのかも。

 希良々うみさんのレミーネがとてもすてきだった。初演では、峰丘奈知さんが演じた役だったかな。希良々さんの花組にしばらくいました感が大好きです。有栖妃華さんの美声もずっと耳に残ります。白峯ゆりさんのセクシーなベリーダンサー、星南のぞみさんと、娘役さんたちが大活躍だったのもうれしかった。このあたり、すごくていねいにキャスティングしているなと感じた。

 男役さんたちでは、真那春人さんのアンドレア・グリッティがとてもよかったし、誰もが役に真剣に取り組んでいることが伝わってきた。ダンスも本当にきれいだったし。

 あっという間に終わってしまう三都市全国ツアーだったけれど、芝居、ショート、演者たちがもっとも輝ける場所に配置されているように感じ、新しい雪組の方向性を見た気がする公演だった。

 花組で謝先生というと、『キス・ミー・ケイト』や『ロマノフの宝石』を思い出す。いまの宝塚には踊れるスターさんがたくさんいるけれど、なつめさんのしなやかさに近いのは咲ちゃんだと思う(個人の意見)。あの時代のクラシカルな雰囲気もまとっているし。こうしてなつめさんの作品の再演が回ってきたのも、そういう期待あってのことだと思う。
 ショーの一場面でもいいから、なつめさんの時代の花組の作品を再現してくれたらとてもうれしいし、引き続き『キス・ミー・ケイト』の再演希望と書いて、ここまでとします。

 明日は名古屋でのライブ配信。お芝居がまた深まっていたりするのかなあ。それを楽しみに。

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花組 大劇場 「ヴェネチアの紋章」(1991)音声データがダウンロードできます(有料)。リンクはこちら。
https://www.tca-pictures.net/music/cgi-bin/detail.cgi?goods_code=TZK-587

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