みんなゴダールの子ども
ゴダールが亡くなった。
2022年9月13日。91歳だった。仏紙「リベラシオン」は「自殺ほう助により自らの命を絶つことを決めた」と報道したという。死に至る経緯も相まって、不在が重くのしかかる。
あまりにも大きな存在だった。
好きとかリスペクトしているとか心の師であるとか信奉しているとか神のようだとか、一つの言葉でいい表すのは難しい。さらに、普通のコミュニケーションを拒み続けている変わり者だという数々の神話と、何よりもゴダールの「映画」が、いっそう複雑で形容し難いものにしていたと思う。
初めて観たゴダール映画は『気狂いピエロ』だった。スバル座のリバイバルだったと思うけど、違うかなあ。
こんな映画が、こんな世界があるんだと本当に驚いたし、興奮が止まらなかった。ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちの映画をリアルタイムで観られることにも。
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最近観たり聞いたりしたいろんなものが、ゴダールにつながる。
KAATで観た、溝口健二『夜の女たち』をミュージカル化した舞台では、もちろん『女と男のいる舗道』を思い出した。
「夜の女たちと男たち」というような感触にはなっていたけど、その分、溝口の『夜の女たち』を見たときの違和感は薄まって、演劇人が作ったミュージカルになっていた。白黒映画のようなクールと、ジャック・ドゥミの暗いミュージカル映画を思わせるウェットとを同時に感じさせる音楽がカッコよく、とても面白かった。観劇後には、溝口の『夜の女たち』よりも、『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナを見たい気分だった。
東京宝塚劇場では月組が『グレート・ギャツビー』を上演中で、ギャッビーを演じた月城かなとさんと、ニックを演じた風間柚乃さんの芝居が素晴らしく、ギャツビーとフィッツジェラルドの死について思いを巡らせているところだった。ゴダールとフィッツジェラルドが似ていると言いたいわけではないけれど、ゴダールとアンナ・カリーナにも、ゼルダとフィッツジェラルドのような甘い季節があったのだと、ちょっと感傷的浪漫的に考えてしまうし、『グレート・ギャツビー』の最後の一文を思い起こさずにはいられない。
亡くなった前日、9月13日は、あがた森魚さんの誕生日だった。
あがたさんもゴダールの子ども。
「あがた森魚デビュー50年」を祝福するお祭りの一つでサブスクが解禁中だけど、最初に公開されたアルバム群には『女と男のいる舗道』も入っている。60年代の映画音楽主題歌のカバー集。大好きなアルバムだ。
オザケン(小沢健二)のツイートにもハッとした。
そうなの? 知らなかった!
でも、知らなかったけど分かってた。
「恋とマシンガン」や『カメラ・トーク』を聴いたり、PVを見たりすれば説明してもらわなくたって分かる。「これって、ヌーヴェル・ヴァーグじゃん!」 って思ったもの。
「BREATHLESS」と大きく書かれた英語版の『勝手にしやがれ』のポスターのカードをずっと部屋に飾っていたけど、あれ、どこにしまっちゃったかな。家の中にはゴダール関連のものがたくさんたくさんあるけれど、まだ出したりする気にならない。
その「死」は嘘ではないだろうけれど、『気狂いピエロ』のラストみたいに、空の中に溶けているような気がする。終わりの場面をどうするかをずっと考えていたんだろうかと想像すると涙が出る。
みんなみんなゴダールの子ども。
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