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雪の巨大惑星のフォルティッシッシモ的大爆発*宝塚雪組『f f f -フォルティッシッシモ-』

とうとう今日という日が来てしまった。

望海風斗さんが宝塚を去る日。そこそこの天気になることは天気予報で知っていたけど、でも、何かの間違いで暴風雪みたいな異常現象が起きてしまわないようにと願っていた。ほんっとうにいろんなことがあった宝塚人生だったから。ここでまた何か起こってもおかしくないもん。

『f f f -フォルティッシッシモ-』。作・演出の上田久美子先生は、望海風斗という演者を得て、とてつもない作品をつくりあげた。

望海風斗さんのこれまでの作品すべてを、そこから生まれた苦しみや悲しみ、悩み、苛立ちや焦燥までもこぼしてしまうことなく一つにまとめあげて、それを一緒に完成させた劇場に座っていた一人一人にも祝福させる。宝塚の望海風斗が巨大な惑星となり、大爆発していくような作品だった。

最初に観たときには、中盤くらいまで、久美子先生には珍しいことだけど、謎の女ってちょっとしつこいなと感じていた。でも、それを一瞬で翻させたばかりか、エクストリームな祝祭的ハッピーエンドに一気に導いた終盤のベートーヴェンとの対峙は本当に驚いたし、何度観ても感動してしまう。

謎の女は、誰でもないし、誰でもある。変異ウイルス株みたいに、場面ごとに変わっていく複合的な存在なのだと思う。シナリオでは最後に「運命」という言葉に集約されるけれど、あれは、だいもんの演じたすべての役であり、だいもんのすべての相手役であり、だいもんの演じた役を愛したすべての人であり、だいもん自身でもあるんじゃないか。本当のところはもちろんわからないけど、そう考えてみたら、自分の中ですべてが氷塊し、ものすごい「歓喜」の気持ちが押し寄せてきた。

ベートーヴェンに演じた望海風斗は、この作品を通して、最後に、演じたすべての役、すべての相手役、彼女の演じた役を愛したすべての人、そして彼女自身を抱きしめるのだ。

だいもんが大きな声を出さない静かな芝居をずっと観たいと思ってきたけど、それは宝塚を去ってからたくさん観ることができるだろう。こんな大爆発をするだいもんは宝塚の外ではたぶん観ることはない。

宝塚歌劇で、海外から輸入した音楽や台本を使うことなく、こんな熱量を放出する舞台を作り上げることができる。すごいなあ、上田久美子さんも、望海風斗さんも、その世界を受け止め、作品世界を作り上げた雪組の出演者たちも。

最後の『f f f -フォルティッシッシモ-』の大爆発を、配信なのは残念だけれど、歓喜の瞬間を見守る一人になりたいと思う。

望海風斗さん、いままで素晴らしい舞台をありがとう。そして、卒業おめでとうございます。

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