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「書く」ことで思い出した家族の物語

毎日noteを書くと言っていたが、いつのまにかリアルに「日記」を書くようになっていた。

今年に入って「5年連用日記」なるものを書いている。
これって、webのように日付を見ないと書いていないことがわからないのではなく、書いていないとそこが空欄になる。

なんとも寂しく思えてくるのだ。

こうしてnoteに記すことも好きだ。
だが、リアルに書くことは後に「誰かに見られる」ということを想定して書くから面白い。まるでタイムマシン。

もちろんwebにだってすぐに見ることができたり、検索することもできる。
だが、その速さは時に「退屈」をうむ。

祖母が亡くなった時、書いていた日記が出てきて家族で読んだことがあり、その時の感覚が忘れられなくて、私も手書きの日記を書くことにしたのだ。

私の父がたの祖母はお嬢様育ちであり、母が嫁に来た時もかなり嫁姑でもめていたらしい。それもそのはず、母は7人兄弟姉妹の長女で学校もろくに行かせてもらえず、妹弟の面倒を見て過ごし、親の決めた相手と泣く泣く結婚し、その後当時では珍しく離婚していた。
その後、家を飛び出し出会ったのが私の父であり、あの時離婚しなければ私たちは生まれてなかったわけだ。

そうして、出会った父は母よりも年下。祖母はお嬢様だったのに祖母の代で持っていた土地は農地改革で小作人に全て取られ、何もなくなった上に祖父は戦死してしまう。
長男だった父は中学を出た後、定時制の高校に行きながら働き家族を支えた。

そうして両親は出会うのだが、祖母にとっては「姉さん女房」が気に入らなかったのか、たびたび衝突する姿を私も覚えていて、嫁姑はこんなに大変なのかと幼心に思ったものだ。

そんな祖母は図書館の司書の仕事をしていて、当時はかなりのインテリだったと思う。祖父が亡くなった後も今でいう彼氏がいたようで、私はその人のことを自分の祖父だと思っていた。
真実を知ったのは、祖母が亡くなり納骨をした時。私が知っていたいわゆるおじいちゃんの名前と違う人の名前が墓石に刻まれていて「この人はだれ?」と聞いた時に初めて知ることとなった。

私がまだ幼かった頃、旅行に行った貴重な写真があったのだが、一緒に写っていたのは父と祖母。写真を見せられた時は母がシャッターを押したのかと思っていたが、旅行中のどの写真を見ても母の姿はなく大人になって知らされたのは、一緒に行ったのは母ではなく祖母の彼氏だった。

なぜ私だけがついて行ったのだろうか?姉達はいつも両親と一緒に写真に収まっていた。だけど、私の記憶の中では私は父と一緒に写っているものは多いが、母や姉達と写っている写真が少なかったように思う。

家族のことを思い出すとなぜか泣けてくるのだが、祖母が亡くなった時に私は祭壇の前から離れられなかったのを今でも覚えている。
父も同じように祭壇の前で泣いていた。いつも厳しく叱られていたあの父が、お通夜の時に祖母のそばを離れなかったのだ。

祖母が亡くなり、遺品を整理していると大量の日記が出て来たらしく、父が一人黙って読んでいた。
しばらくして、私達も読ませてもらったが、まず達筆すぎて読めないし表現が枕草子を読んでいるかのような感覚になり、時代を感じていた。

ただ、祖母が何を感じて生きていたのかをその文字から読み取ることはできたと思う。今読むと、また違った感覚になるのかもしれないが文字にはその人の「魂」がこもると思っている。
そして紡がれる「言葉」にも言霊があり喋る言葉だけじゃなく、書き記された言葉にもその時の感情やその人の人柄が現れる。

もしも、あの時の日記が今でも残っているなら、もう一度読んでみたい。

そう思いながら、今まではネットの中に残そうと思ってたものを「手書き」に変えた。
ネットの中にはたくさんの人に読んでもらえる空間があり、同じことを考える仲間が見つかったりする。それもすきだ。あまり友達の多くない私にとって、ネットの中は「居場所」がある。だが今の私は狭い範囲の「家族」に宛てて私の思いを残したいと思う。

私がどんな思いで生きて来たか、あの時こんなことを思っていたのかということを、私が死んだ後子供達が読んでくれたら良いと思う。
たとえ、誰に読まれなくとも来年になれば1年前の同じ日に何をしていたか、何を思っていたかが一目瞭然だ。それだけでも良い。

5年連用日記で5年はタイムスリップできる。そして誰もが見れるではなく、限られた人が見れる空間で誰が見てくれるのかが楽しみだ。

人は二度亡くなるという。一度目は命が亡くなった時、二度目は思い誰亡くなった時。
こうして祖母や両親のことを思い出せただけでも、良かった。
核家族になり、盆も正月も関係なく働く人が増え、毎日が忙しく目の前のことで精一杯になっている人が多い中、じっくり腰を据えて何かを読んだり、忙しくても一日の終わりにその日のことを振り返ることができれば自分自身にも気持ちの余裕も出てくるだろう。

私が亡くなった後もきっと、日記を見て思い出してくれる人が一人でもいれば魂は浮かばれるなと思ったのだった。

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