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宮古の海底に沈む異国船プロビデンス号

 宮古の海といえば観光客に人気だ。マリンスポーツで競ったり、サンゴ礁をはじめとした多くの海の生き物たちを見ることができる。八重干瀬もシュノーケリングやダイビングスポットとして人気を博しているが、そこには1973年に座礁・沈没した英国海軍軍艦プロビデンス号が眠っているのはご存知だろうか。

 幕末の頃、英国をはじめとした異国船は琉球国周辺に多く見られた。プロビデンス号は八重干瀬で座礁・沈没したが、幸い乗組員は無事だったそうだ。池間島では1997年、プロビデンス号来航200年を記念し、石碑と写真にある実物の15分の1の複製が作られた。

 10月18日、城辺庁舎で宮古島の水中考古学と調査―西欧列強の沈没船遺跡―「沖縄の水中文化遺産」と題した講演会が行われ、沖縄県埋蔵文化センター主任専門員の片桐千亜紀さんが講師として登壇した。片桐さんはプロビデンス号の調査のため、文献などを手かがりに八重干瀬を調査したところ、海底に沈む船体のパーツや積み荷の欠片を発見。その後、その破片がプロビデンス号であることを証明するため、北海道やイギリスに渡り丹念に調査したことでようやく証明できたという。

 そしていま、片桐さんが注目しているのが1853年に吉野海岸で沈没した船名不明のイギリス船だ。この船は苦力貿易にかかわる船で中国の広州から船員30名、苦力243名を乗せて出港し、アメリカのサンフランシスコへ向かう途中で座礁・沈没し、船員24名と苦力219名が命を落とした。

 調査は始まったばかり。片桐さんは「地元の皆さんと一緒に取り組んでいきたい。西欧の沈没船遺跡の調査・研究を通し、水中文化遺産を新たな海の資源として官民一体となった水中遺跡公園を設置したい」と意欲を示した。

ことば✐苦力(クーリー):黒人奴隷に代わる中国やインドなどの下層労働者のことを言う。

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