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積み重なった山の記憶

昨日からTour de France 2024が始まったらしい。

このとんでもない自転車レースの存在、みなさんご存知だろうか。

ツール・ド・フランスはシーズン最高にして最大の自転車ロードレース大会であり、オリンピック、サッカー・ワールドカップに続くビッグスポーツイベントとさえ称される。全22チーム・176人で構成されたプロトンと、150台からなる広告キャラバン隊は、毎夏3週間かけて町から村へ、山から谷へと、約3500kmもの距離を駆け巡る。

J Sports Tour de France2024 公式ページより

3,500キロて。

日本は北東にある北海道から南西に向かって本州、四国、九州の大きい島が2300kmの長さで並び、さらにその先に沖縄を含む南西諸島が1000km続き、合わせて約3300kmの長い国です。

日本の長さについて にっぽにあHPより

つまり、北海道から南西諸島まで含めた日本の全長より長い距離を自転車で駆け抜けちゃう信じられないレースなのである。

普段は、フランス近隣諸国から始まって最後はパリにゴールするのが通例?なのに、今回はパリ五輪開催直前ということで、イタリアのフィレンツェからスタートし、最後は地中海沿岸のニースにゴールするらしい。異例・・・!

ちなみにツール・ド・フランスという言葉は、「フランス一周」という意味。その名の通り、開催当初は忠実にフランスを一周していたそうです。

いっそスポーツイベントやるなら国ごと巻き込んで、観光の起爆剤にしてしまえ!と思いつくあたり、さすがブランド大国フランスである。

日本の各地で地域をあげてウルトラマラソンとかを開催しているのも、ツール・ド・フランスから影響を受けている部分もあるのかもしれない。

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なんかツール・ド・フランスについて語りたい!みたいになっているが、そうではない。

半年遅れ(?!)の誕生日旅行に向けてドライブ中なんですが、ラジオで「ツール・ド・フランス」の話題をたまたま聞いて懐かしくなっただけなのだ。

2年前のちょうどこの時期、私はゆるやかに山に狂い始めていた。

山の師匠(自転車も大好きな方)と一緒に山に向かう車の中で、ずっとツール・ド・フランスのレースを観戦して大盛り上がりしていた。笑

そもそものレースの存在を知ったのも、なんとなくのルールを教えてもらったのもこの時だった。

たまたま聞いていたラジオの話題で、ツール・ド・フランスにまつわる記憶を思い返したわけだが、ここ2年間は山に狂っていたおかげで、どの思い出も「ああ、この時期は・・・の山に行ってた時期だな」と山がベースになって思い出されるという異常事態となってしまっている。

友達と旅行と称して行ったはずなのに、旅行先に目当ての百名山があれば、延泊してでもすかさず登って帰ってきていた。(もはや友達と旅行がしたかったのか、山に行くついでに友達と遊ぶ予定を入れていたのか分からない)

2年前、瀬戸内国際芸術祭にアート仲間たちと行くことになった時も「お!近くに愛媛の石鎚山、徳島の剣山、さらには鳥取の伯耆大山があるやないか!行っちゃお!」とアート旅行の前後にここぞとばかりに山の予定を詰め込み、意味がわからないくらい登山荷物にまみれてアートを楽しんだ。

こんな調子で、私の過去2年間(2021-2023)は完全にどの予定を切り取っても、必ずその前後に登った山も一緒に想起される奇怪な期間となってしまった。

ここまで局所的に「百名山チャレンジ」という特定のテーマに打ち込んだ時期は、おそらくこの短い人生でおそらく最初で最後(でありたい)だろうが、我ながらしっかり狂っていて面白い。

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過去の記憶と経験について、以前、元陸上選手の為末大さんがXで面白いことを投稿されていた。

私たちは本当は何を経験しているのでしょうか。

以前、大変疲れている時にカフェラテを飲んでいたところ、半分ぐらい飲んだところでずいぶん薄いなと思って蓋を開けてみるとコーヒーが入っていなかったことがありました。 この紙コップの半分を飲むまでの私は一体何を経験していたのでしょうか。事実から言えば温かい牛乳を飲んだだけですが、認識としてはカフェラテを飲んでいるわけです。

人間の知覚とても敏感でありながら、大雑把な部分もありまだらです。実際にはそのまだらな知覚を、自分の脳内の編集が埋めており、その編集で埋まったものを私たちは経験していると言われています。 ということは、全ての経験は生々しい流しっぱなしの映像ではなく、メディアによって編集済みの映像のようなものだということです。

そしてこの経験に影響を与えているのが過去の経験です。カフェラテを飲む前に、少なくとも認識はカフェラテを味わい始めているということです。その差異がそれほど大きくなければそのまま流れていき、差異が大きければ今飲んでいるカフェラテに注意する そう考えると経験とは、 「過去の経験を再生することが、今経験されていることの一定部分を占める」 と言えるのではないでしょうか。これは大変興味深いと思っています。

私たちが経験していると思っていることが実は記憶なのかもしれないということです。 実際に、ある匂いで誰かを思い浮かべたりしますが、その時には匂いそのものの経験と、その人との会話の経験が混ざっているように思います。

もしかすると1日を過ごす際のほとんどは、過去の経験が繰り返されているだけで、実際の経験とはその記憶が再生されるトリガーとして存在しているだけなのかもしれません。 禅では三昧の境地が言及されていますが、これはもしかすると記憶の再生を止め、世界をそのまま知覚する体験なのかもしれません。あるがままでもあり、むき出しでもあります。

私はカフェラテを毎日一度は飲みますが、本当にカフェラテを飲んでいるのか、それとも匂いと味、もしくはすでにカップを持った時点から過去の記憶の再生に過ぎないのか。最近、気になってしょうがありません。

為末大さん公式X 2024年4月25日の投稿より

「過去の経験を再生することが、今経験されていることの一定部分を占める」

確かに、きっかけはなんであれ、何かの拍子に山を思い出して、そのことを回想しているこの瞬間は今現在の経験(体験)である。

単純にツール・ド・フランス2024の話題から当時の山行のことを思い出しただけなのだけれど、人が記憶を思い出すことや過去の経験と現在の関係性って面白いと思う。

ふとした時に香る匂いがきっかけで何か過去の記憶を思い出すこともあるけど、自分の中で眠っている記憶が呼び起こされるきっかけってどこにでも転がっているものだ。

ここから数年は、もうしばらく山の記憶と共に過ごすことになりそう。

もっとも、山についての雑誌を作ろうとしているので、しばらくは好都合なのかもしれないけれど。


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