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【慰霊の日】

 みなさんこんばんは。前回までは【みゃーくふつ(宮古方言)講座】や【宮古島の文化】などの宮古島に焦点を絞った記事を執筆して参りました。しかし今回は少しだけ視野を広げ、沖縄県全土に共通する文化をご紹介しようと思います。
 というのも、この記事を執筆している今日6月23日は『慰霊の日』。県外出身の方にとっては、あまり馴染みのない言葉かもしれません。それもそのはず、『慰霊の日』は、沖縄県が制定した「とある記念日」なのです。
 沖縄県民なら誰もが知る『慰霊の日』。しかし私は、『慰霊の日』は沖縄県民にとってというよりも、日本人にとって、さらには世界中の人々にとって意味のある大切な日であると思っています。
 今日は、そんな『慰霊の日』を少しでも多くの人々に知って欲しい、という想いで記事を執筆しております。思わず口元が緩むようないつものゆるい内容ではございませんが、どうか最後までお付き合い願います。

1. 慰霊の日(いれいのひ)とは

 沖縄県の条例で定められている、「沖縄戦等の戦没者の霊を慰め、平和を祈る日」のことです。
 この日は役所や学校などは休みになり、各地で追悼式が行われます。糸満氏(いとまんし)の摩文仁(まぶに)にある「平和記念公園」で執り行われるものが最も規模が大きく、県内のテレビ局はライブ映像を配信するなど、大々的に報道されます。県知事が必ず足を運ぶことからも、県内では『慰霊の日』がかなり重要な位置付けにあることがおわかりいただけるでしょう。
 追悼式では毎年、「平和の詩」として県内の児童・生徒による詩の朗読があります。今日の追悼式では、宮古島の西辺(にしべ)中学校から、上原美春さんという生徒が選ばれたようです。有名な宮古民謡のひとつ『豊年の歌』の一節を引用した大変素晴らしい詩でした。全文は朝日新聞デジタルでご覧になれますので、ぜひ訪れてみてください。
 ※上原美春さんの平和の詩朗読全文はこちら

2. 慰霊の日の歴史

 1番最初の『慰霊の日』は、沖縄戦終結後から16年が経った1961年に制定されました。この時「日本軍の組織的戦争が終結した日」として、「第32軍の牛島司令官と長(ちょう)参謀長が自決した日」が採用されました。当時は自決した日が6月22日だと考えられていたため、現在のように6月23日ではなく、6月22日が慰霊の日として制定されました。

 最初の『慰霊の日』制定から4年後の1965年、第28回立法院議会での再調査により、自害したのは6月22日ではなく、6月23日である可能性の方が極めて高いという報告がなされました。これを受け、『慰霊の日』は現在の6月23日に改定されたのです。

 しかし1974年、アメリカ領土だった沖縄は日本に復帰。これと同時に「国民の祝日に関する法律」が適用され、『慰霊の日』は休日から除外されてしまったのです。
  その後沖縄県が「『慰霊の日』を定める条例」を公布し、それからは「沖縄戦等の戦没者の追悼と平和を祈る日」として、現在のように幅広く県民に浸透しています。

3. 県内外での沖縄戦に対する認識のギャップ

 私は中学校までを宮古島で過ごしましたが、小学校でも中学校でも、沖縄戦について深く学習する機会が授業の中で設けられていました。また授業以外にも「平和月間」というものがあり、この期間には沖縄戦の写真が廊下に張り出され、忌々しい歴史を忘れないための工夫がいくつも見られました。
 
 那覇の高校に行ってからも沖縄戦について学習した生徒は多く、今思えば「沖縄戦について知っていることが当たり前」という風潮は少なからずあったように思います。沖縄戦に対する自分なりの意見を持っていることや、平和な世の中を懇願する強い意志を持っていることは何も特別ではなく、ごく普通のことでした。

 しかし関東に来てからは、沖縄戦に対する意識に関してギャップを感じました。在学中に知り合った関東出身の友人に聞くと、沖縄戦についてどころか第二次世界大戦についても、歴史の授業で出てくるくらいで、特別な学習の機会を設けたことがないというのでした。

 もちろん深く学習をした機会があったり、自分なりに勉強した方もいらっしゃるかもしれません。沖縄県外のメディアも『慰霊の日』について毎年取り上げているのは重々承知しています。もしかすると私が出会った友人だけがたまたまそうだったのかもしれません。しかし沖縄戦についてあるいは第二次世界大戦について「知らなければならない。」という責任の感じ方は、県内出身者と県外出身者との間でギャップがあるように感じました。
 これについては全体を把握しきれていないままの主観的な意見になってしまったため、読者の皆様はどうだったのか、是非TwitterやFacebookにてコメントいただけますと幸いです。

4. 最後に

 『慰霊の日』について、理解は深まりましたでしょうか?私自身、現在の『慰霊の日』になるまでに2回もいざこざがあったことは知らなかったため、大変勉強になりました。
 沖縄の人は沖縄を離れても、どこにいようとも『慰霊の日』に黙祷をする人が多くいます(少なくとも私の友人にはそういう人が多いです)。いつか6月23日が沖縄の人だけでなく、日本全国、全世界の人々が、平和への祈りと戦争という過ちをもう2度と起こさないという強い意志のもと黙祷を捧げる日が来ることを心から願っています。


参考文献
「慰霊の日」のはじまり

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