子どもの貧困対策法10年 「子ども食堂」名付け親が納得できぬこと
あすのばの小河さんのフィードを一部コメントをつけてシェア
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「子どもの貧困対策の独自施策は、子ども食堂への助成だけ」という自治体がいかに多いか。首長・議員・行政職員の方々、子ども食堂助成団体など関係者のみなさん、ぜひお読みください!
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近藤さんの記事を一部シェア。配信元をシェアしておきますので、是非お読みください。
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子ども食堂を始めたのは、困った時はお互い様の気持ちが薄れている現状を、なんとかしたいと思ったから。子ども食堂が目的になっちゃダメ。おばちゃんたちがやることは、そっとしておいてほしいんですよ。おばちゃんたちがやっていることに便乗して、やった感を出して欲しくない。
以下記事URL
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子ども食堂の名付け親と言われている、「子ども食堂」だんたんの近藤さんとは、ずっとこういう話をしている。
今の子ども食堂を取り巻く流れについての危機感というか、そんな話。
本来は地域で何かしたいと思っていたおじちゃん、おばちゃんが地域のこども達に「ごはん食べんね?」ってできるくらいのシンプルな感じだったはずが、
いつのまにか、
コミュニティづくりだとか、
防災だとか、
モデル事業だとか。
勝手に分析されて肉付けされて、体系化されて。
そしてそういう勝手に作り上げられたデータや情報を持っている人たちが、色々なところで主導権を取り始める。
あと、なぜか子ども食堂自体が講演会の道具になっていたり、予算がついていたり。そこに行政が積極介入したり、
子ども食堂をやるだけで、メディアに取り上げられたり。
どこか、「なんちゃって、子ども支援してますキャンペーン」に子ども食堂が使われて、
それがまるで正解のような取り上げられ方をしたり。
そんなに子ども食堂は偉いのか?
という違和感しかないわけで。
今の時代だからこそ、こういう話を宮崎でもして欲しいと、
11月に近藤さんをお呼びしてお話をしてもらう事にしました。
当初、「皆が求めるような話はできないよ」って言われていたのですが、私にとっては「それがいいんです!」ってお願いしたところです。
子どもの支援って、本当はずっと草の根でやっている人たちがたくさんいて、例えば虐待の活動だったり、DV支援だったり、
支援をしている人達でさえ、精神的に追い込まれる状況の中で、息をひそめるように活動をしている。
こういう色々な支えや政策があって初めて子ども食堂っていうのは、本来の機能を持ち始めるのであって、
子ども食堂が政策のメインになっちゃダメなんだな。
我が子ども食堂もかれこれ6年目に突入ですが、相変わらず近所の子たちが気が向いたら遊びに来るし、
手伝ってくれる地域の人もゆるゆる来たり来なかったり。
最近は子ども食堂しなくてもいいんじゃないかと思い始めた。
そんなことしなくても、色々な人が好きな時に遊びに来てくれるし、
ご飯も必要な人には毎日無料で提供しているし。
そうなると、わざわざ子ども食堂と言う形を取らずとも、
「食+コミュニティ+支える」という仕組みができるんですよ。
子ども食堂については、別に積極的な広報もしないし、発信も控える。
だって、別にアピールするものでもないしね。
もっと言うと、発信して利用できる子供たちが殺到したら、地域の子どもたちが利用できなくなっちゃう。
アピールしたとこで、来てもらう子どもたちは地域内のこども達なので、そもそもがSNSなんて見ないのを考えると、
結局は自分アピールな気がしてきたので、控えることにした。
話戻って、
近藤さんのずっとブレないこの感覚を宮崎、九州の皆さんにもシェアしたいです。
と言う訳で、11月は是非宮崎へ!
子ども食堂キラキラ♪ではない、もっと本質的なお話が聞けるかと思います。
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