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[後編]死について考えていること

 たぶんこれで当分の間は投稿するのやめると思います。

 前編では自分の経験を書いていましたが、後編ではそこから自分が考えるようになったことを書こうと思います。死というか自殺についての話になるかもしれませんが、真面目に書いていこうと思います。

 では後編です。(あくまで私個人の見解でありこれが絶対正しいとは思っていません。それを理解した上で読んでくださるとありがたいです。)


1. 自殺するのはダメなのか?

 自殺はダメであるという風潮がありますが、皆さんは自殺をすることはダメなことだと思いますか?私は、自ら死を選ぶことはその人個人の問題であると思う。よって、自殺はダメなこととは思わない。

 自殺というのは自分の生を自分で終わらせる私的なことだと思う。産んでくれたのは両親であるとしても、自分の体はどこまでいっても自分のものであると思う。それなら最後まで自分の生死は自分で決めさせてほしい。誰かに死なないでと言われて止めてほしくない。

 自殺を選ぶ人は突発的であれ、熟考を重ねた後であれ並みの人よりも死について考えている。生き続けることと死ぬことのどちらが自分のためになるかは一番に考えている。その末に死を選んだのならだれかにとやかく言われる筋合いはない。

 これは安楽死や尊厳死にも通じるところかもしれない。死を選ぶ権利はどこまで尊重されるのかは国内でももう少し議論されるべきであると思う。もちろん他者に死ぬことを押し付けることになってしまってはいけないが、人が自分の生を終えようと思ったときにある程度手順を踏めば死ねるような制度ができると嬉しいなと思う。

2. 死の価値とは

 なんでも価値がどうだのと考えることはいかがなものかと思うが、死の価値というか重さを考えていきたいと思う。
(以下では、主観はその個人の経験や感情が入ったものの見方、客観は第三者いうなれば「神」のような大きな目線に立ってみたものの見方を言っているものを想定して書いている。)

 凶悪犯罪者が死ぬことになってもほとんどの人は当然の報いだとか仕方のないことと思うだろうし、反対に有名人や親しい人が死んだときは多くの人がその死を悲しむだろう。ここにはもちろん主観的な死の見方が存在している。

 しかし、他者の死を客観的に見た場合、当然凶悪犯罪者と親しい友人の死は等しく見られなければならない。極端なことを言ってしまえば、どちらの死も等しくか等しく悲しまなければならないのである。そんな死のとらえ方に嫌悪感を覚える人は多いと思う。

 こうして考えると死の見方はすごく主観的なものなんだと思う。自分のすぐそばにあるものだからこそ自分から切り離して考えることが難しいことのように思える。正直ここら辺は自分の中でもまだ煮詰まってない部分なので今後何か気づいたら投稿しようかなと思ったり、思わなかったり。

3. 皆さんはどれだけ死を悲しんでくれますか?
~自分だけがいない世界~

 最後に自分が自殺したいなと思ったときに考えてたことを少し話したいと思う。

 自分が現実のつらさと将来への希望を天秤にかけ自殺することに決めた後で考えたことは、自分が死んだとしても生き続けるであろう人々のことである。その中で彼らがどこまで自分の死を悲しむのかを考えた。さすがに残していく人のことも考えなければならないとは思ったからである。

 その時特に考えたことは自分が死んだときに悲しんでくれる人はどの範囲の人かと考えるとどの程度悲しんでくれるかである。

 自分の死を悲しんでくれると思ったのは当然親族、友人である。正直友人の範疇がどこまでなのかはわからないが、少なくとも数人はいると信じている。

 そして、その人たちがどこまで悲しんでくれるかを考えるにあったっては死んだことをふとした時に思い出してくれる期間がどれくらいなんだろうということを独断で考えた。

 自分はまだ親しい友人や親族をなくしたことがないためわからないが、今の交友関係では長い間覚えくれている友人などいない気がする。(いてくれたらありがとう)そうなってくると正直友人の存在を思い出して自殺を踏みとどまるなんてことはないし、実際になかった。親族の場合は、最後くらいわがままを言っても許されると思っているので、親族が悲しむことを想像して自殺をとどまるということはなかった。どこまでも身勝手な息子で申し訳ないとは思ってる。

 正直自分がいなくなった後の世界は想像しづらい。自分にはこれといった使命も目標もない無価値な人間で、自分が死んだところで何の不自由もなく世界は動いていくと思っているので、どうでもいいと思ってみたり。

 これを書いているときにふと、自分以外は本当は巧妙に作られたNPCで自分が死んだらこの世界ごと消えてしまうのではないかということを考えたもしたが、さすがにこのことはまたの機会に考えたいと思う。

4.最後に

 前編、後編にわたって自分の死についての考え方を書いてきたわけですが、自分の中にある考えをある程度まとまりをもって書くことがこんなにも難しいことなんだなと改めて実感しました。(今見直してたんですが全然まとまってないなと思いました)

 死について考えることなんて普段はめったにないことだと思います。そんな中この拙い文章が皆さんの死について考える上での何らかのきっかけになれば大変うれしいです。

 今回は以上です。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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