やだ 怒ってるの? 短気は損気

1日で痩せる方法ってないんかしら、と帰宅後に思って、YouTubeでしらべたらあれですね、塩分抜き。具合悪くなっちゃうから長期間はやれないけど、塩分とらずにむくみを取るというやつ。

だから8時間ダイエットにプラスして、きょうから明日の公演おわりまでは塩分抜きをやります。

きょうのおひるは味付けなしのきゅうり1本とプチトマト4つと、こちらも味付けしないごはん100グラムくらいと、コンビニで買えるザバスのプロテイン。あと黒酢。夜もプロテインだけにしようかなと考えております。楽しみ。こういうのは面白がったほうが勝ちだ。どうなったっていいからね。

みじめな思いも、つらい気持ちも、誰もが味わうものではないと思えば、面白がれる。そんなばかげた選民思想が、わたしに優越感をいだかせる。
嫌な思いをしていることに蓋をするか、どうして嫌なのか解体していくかで、その後の心の在りようも変わる。

たとえば、わたしは仲良くしていたひとにすら理由もわからず疎まれることが多い。もちろんかなしいが、疎まないでくれ、なぜならかなしいから、などと言う気にはならない。嫌なものはしかたがない。こういうのは食べものと同じだ。嫌いなものを、体にいいから食えと言えないのと一緒。また口に入れたくなるのを、気長に待つしかない。他の楽しいことをしながら。

だいたい、わたしのなにがそんなに気にさわるのかと考えたが、そのひとつの理由は、あきらかにいろんなことに対して他人事だからだろうと思う。わたしには関係ありませんって思っているからだと。でも誰も誰かの責任なんかとってあげられないのに、当事者ぶるなんて、いったいどの面下げてしろというのだろう。

でも関係ありませんって堂々と開き直る度胸がないから、必死で想像して、共感しようとする。その必死さが、人にナメられたり、疎ましがられるのだ。必死ということは、余裕がないということだから、付け入られても不思議はない。自分に興味のない人、みんな、好きでしょ。わたし、その逆。ほんとはだれのことも、どうなったっていいのに、じつに滑稽なことです。

#日記

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