《ひと》 広報スタッフ 清水わかな
こんにちは!みやっこベースOG兼・広報スタッフの清水わかなです。
今回は同じく広報スタッフの島越に続き、OGスタッフ紹介ということで、自己紹介をさせていただきます!
都会に憧れ続けた幼少期から、みやっこベースに出会った高校時代、刺激的な大学時代を経て、広報スタッフとして活動するに至るまでを振り返っていきます。
自分の事を語るのはかなり恥ずかしいですが…こんなお調子者もいるんだな!と笑っていただけたら嬉しいです!(笑)
【プロフィール】
1996年、岩手県山田町出身。現在25歳。
趣味は読書とライブ鑑賞と舞台観劇。好きなものは麦焼酎と母が作る唐揚げ。自称・宮古随一のひょうきん者。
中学卒業の直前に東日本大震災で被災。宮古市に引っ越すことに。
宮古高校に進学し、放送部に入部。テレビドキュメント作品制作などを通じて、「伝える」ことの楽しさに目覚める。
また、高校3年時にみやっこベースが開催していた「高校生サミット」に参加し、復興のために自分ができることを模索し始める。
その後、都留文科大学文学部比較文化学科に入学。
卒業後、就職のため神奈川県へ移住。現在に至る。
【写真】近影。2020年2月、静岡県にてライブ鑑賞の際、観光で立ち寄った掛川花鳥園にて。アヒルに手のひらをついばまれる清水。
「とにかく田舎は嫌だ!」
私が生まれ育ったのは、宮古市のお隣・山田町です。宮古と同じく海と山と川が生み出す豊富な資源に恵まれた小さな町で、共働きの父母に代わって祖母や近所の方のお世話になりつつ、のびのびと育ててもらいました。
ただひとつ、当時の私にとって大きな問題がありました。山田は「とにかく田舎」なのです。
他の市町村に行くにも交通の便があまり良くなく、さらに人付き合いが深いからこその閉塞感を幼いながらに感じていました。
「大人になったら都会に出たい」と、ずっと思い続ける日々でした。
そんな中で、家族や学校の先生たちは積極的に私の「視界を広げる」ことに力を尽くしてくれました。中学2年の冬に、山田町の姉妹都市であるオランダのザイスト市で1週間ほどホームステイをしたのはとてもいい思い出です。
当時の写真があれば良いのですが…残念ながらそれは叶いません。東日本大震災で実家は全壊、中学校までの写真やビデオといった記録は全て無くなってしまいました。
【写真】被災を免れた母方の祖母宅から見つかった写真。3歳の七五三の清水、山田町の実家にて。左は4歳上の姉、手を繋いでいるのは母方の祖母。
「伝え続ける」ことの大切さ
中学校の卒業式を3日後に控えた3月11日、東日本大震災が起きました。幸い家族は全員無事でしたが、家を失くし、宮古市にある父方の祖父母宅に引っ越しました。
「地元を出たい」と考えていた私は町外の宮古高校への進学を決めていたので、高校にはそこから通うことに。被災のショックは大きかったですが、新天地での生活に期待も高まっていました。
高校でとても力を入れていたのは部活動です。3年間放送部に所属し、お昼の校内放送や行事での司会進行を務めたり、年2回の大きな大会に向けてテレビドキュメント番組の制作、アナウンス部門で発表する原稿作りなどに励みました。
高校2年生で出場した「第60回NHK全国放送コンテスト岩手県大会アナウンス部門」では最優秀賞を受賞しました。山田町の銘菓をテーマにしたアたナウンスだっからこそ喜びもひとしおで、ここが人生のピークだと思っています(笑)
【写真】第60回NHK全国放送コンテスト岩手県大会アナウンス部門決勝の様子。
みやっこベースとの出会い
復興に向けて活動し始めたみやっこベースと出会ったのも、アナウンス原稿の「ネタ」として取材をしに行ったことがきっかけでした。
【写真】第2回高校生サミットより、下段右から二番目が清水。上段中央は島越。このサミットが派生し、「高校生プレゼン大会」も開催されました。
振り返ると、被災地に住んでいるからこそ、震災を「武器」として、作品を作り、大会に出て…そんな部活動をしていいのか?という迷いと戦い続けた高校時代だったと思います。
しかし、「高校生が未来のまちを創り出す」ことに本気で取り組むみやっこベースの活動に参加するうちに、「宮古の課題を『自分事』として感じてもらえるように発信していきたい」という意識が生まれました。
また、地元への貢献=宮古に帰ってくること・宮古で暮らして働くことだと考えていましたが、「都会に出る・地元を離れる」という選択をする若者にも地元のためにできることはないか、という問題意識も芽生えました。
進路を選択するタイミングで、「地元に愛着を持つこと」こそが、まちの未来を創造するという視点をもつことができたのは、大きな収穫でした。
人と人の繋がりの大切さ
地元への愛着はあれど、都会への憧れが消えることのなかった私は、山梨県にある都留文科大学比較文化学科に進学しました(山梨も割と田舎だということは住むようになってから分かりました(笑))。
中学生でオランダでのホームステイを経験してから、国際関係の諸問題に関心を持っていて、当時は在日外国人の方に日本語を教える日本語教員を目指していました。比較文化学科を選んだのも、日本語教員の資格が取れるからです。
しかし4年間、日本語教育以外の学習もする中で、最終的にたどり着いた研究分野はジェンダー問題でした。
都留文科大学はジェンダー研究にとても力を入れており、教授や講師の先生方も非常に熱心な方ばかりです。日本語教員としての勉強はしつつも、ジェンダー学の講義を受けるたび、「女性」を自認し生きていく中での違和感をズバズバ突かれ続ける刺激的な毎日でした。
今まで享受してきた「当たり前」が、実は当たり前ではないという新たな価値観に触れて、もっと深く突き詰めたい!と思うようになったのです。
卒業論文のテーマは「シングル女性の老後の住まいについて」。「コレクティブハウジング」という住まいの形を軸に、結婚や出産を経た、あるいは経験しない選択をしたシングル女性の暮らしの在り方を研究しました。
コレクティブハウジングはいわゆるシェアハウスとは異なり、居住者それぞれが役割をもって生活をします。あらゆる世代が横断的に関わりを持つことになる、「お醤油を貸し借りできる」古いご近所付き合いの現代版に近い形です。
自治体や政府が担いきれない「人と人の繋がり」を民間の力で保ち続けることで、誰もが心地よく過ごせる住まい方があるのではないか。
ハード面をソフト面でカバーする大切さの研究を志したのは、地元でのご近所付き合いや、高校卒業後も続くみやっこベースとの繋がりが深かったからだと思います。
【写真】2015年3月、OG企画で、大学生×高校生のトークセッションをした際の写真。
都会的な生活に強く憧れを抱いていた私がたどり着いた結論が「人生において大切なのはコミュニティ形成だ」というのはやや逆説的なところもあると感じています。
ですが、それも含めて県外にいる私だからこそ地元のためにできることがあるという意志に繋がっているのではないか、とも思います。
【写真】2018年(大学卒業直前)、「地元卒業旅行」のプログラムの一環として、第一回高校生サミットと同じテーマでディスカッションした際の写真2枚。
「自分にもできることがきっとある」
自分の興味関心を深く掘り下げることができた大学時代でしたが、卒業後はまったく別の業界に就職しました。ところが思い描いていた社会人生活は上手く送ることができず、激務に追われては退職し、人間関係に悩んでは退職し…現在はフリーターとして神奈川県で暮らしています。
困ったときは頼ってね、と言ってくれる地元の家族がいるにも関わらず拠点を岩手(宮古)に移さないのは、コロナ禍ということもありますが、私のわがままでもあります。
天地がひっくり返っても今から岩手県が首都になることはありませんし、都会なりの快適さはどうしてもあると思っています。
とはいえ、盆正月には必ず帰る、といった程度の帰省もままならなくなってしまった2020年春。
宮古市産業支援センターから受託され、「地元産の食料を県外の学生に送る」という支援にみやっこベースが協力することとなり、OBOGでもアイデアを出し合いました。
私は、宮古市で働くみやっこベースOGの加藤あかり(彼女に関する記事は後日掲載予定です!)と協力し、贈り物に同封するメッセージを考案しました。
形に残るものとしてみやっこベースの活動に協力できたことにとても達成感を覚えたことは記憶に新しいです。
さらに2021年、震災から10年が経つというタイミングで、OBOGが不定期に集まるオンライン飲み会の場でも、「学生の頃、大人の方々にしていただいたことを今の私たちならできるかも」という声が上がるようになりました。
そんな中いち早く、広報スタッフ・島越が、みやっこベースの正式なスタッフとして副業を始めました。高校で同じクラスだったこともある彼女の行動力は、大きな刺激になったと思います。
就職という大きなタイミングで、あえて地元に戻らなかった立場から、それでも自分にできることはないか。
被災直後の高校生当時、大きな気付きとチャンスを与えてくれたみやっこベースとの関わりを保つことができていたのは本当に幸運でした。
放送部員として「伝える」ことの大切さやノウハウを学び、社会人になってからもネット記事のライターのアルバイトをしていたことから、みやっこベース広報スタッフとして活動できるか相談したところ、ご快諾いただき、今この記事を書いています。
おわりに
長々と大層なことを書いてしまいましたが、近頃は特に自分はまだまだだなあと感じることが多いです。
先日、みやっこベース事務局長の早川さんにインタビューさせていただいた際、早川さんがボランティアとして福岡から宮古に来たのが現在の私とほぼ同じ年齢ということを改めて知り、ただただ尊敬するばかりでした。
微力ながら、今までの経験を活かしつつ、宮古だけでなく、生まれ育った山田町や岩手県、東北全体に、地域活性化のヒントやアイデアを提供していければと考えています。
当面の目標はnoteやSNSでの発信を通して、みやっこベースの活動を多くの方に知っていただき、ご支援の輪を広げていきたいです!
遠い場所にいても、想いは変わりません。
宮古を愛する気持ちを大切に、今後も一生懸命広報スタッフとしての活動に励んでいきたいと思います!
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NPO法人みやっこベース
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