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「何か」を考える――よのなか、まち、ひと  第4回

はじめに

 春は別れと出会いの季節ということで、新生活が始まって期待や不安が入り混じっている方も多いかと思います。この春から宮古に住み始めた人、宮古に戻ってきた人との出会いもあり、わたしも新しい風を感じています。

 その一方で、2~3月という時期は宮古で生活していると、「東日本大震災」について思い出し、考えざるを得ないという方もいらっしゃると思います。ふだんは前向きな内容をお送りするみやっこベースのnoteですが、今回は「東日本大震災」や「防災」について考えてみたいと思います。

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 なお、本連載記事はNPO法人みやっこベースのnoteに掲載されておりますが、団体の総意ではなく筆者自身の個人的な見解ですので、ご了承の上お読みください。
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トンガ津波を経験して考えたこと

 今年1月に南太平洋のトンガ諸島で発生した火山噴火の影響による津波(正式には潮位変化)は記憶に残っている方も多いと思います 。幸い日本国内では人的被害は発生しませんでしたが、宮古市では0.3mの津波を観測し漁業施設への被害が発生しました 。

 日本国内では1月15日午後に気象庁より潮位変動の可能性にかんする発表が行われました。当初は津波の心配はないとのことでしたが、潮位の変化が大きいことから全国に津波注意報が発表されることとなりました。宮古市では1月16日午前0時15分に津波注意報が発令、午前3時54分に大津波警報へ切り替わり、市内各地に避難所が開設されました。

 当日、わたしは消防団員として消防屯所へ詰め、管内の巡回や避難所での誘導活動をおこないました。宮古市では7585人に避難指示を発表し、17か所の避難所を開設。実際に宮古市で避難をおこなったのは369人でその割合は4.8%だったようです 。

 避難者の数がすくなかった要因としてつぎの3つがあげられると思います。

①通常の津波と異なり地震を伴わなかったため、津波に対する不安感が高まらなかった。
②津波注意報・警報と避難指示の発表が、深夜かつ冬季ということで実際の避難を躊躇した。
③コロナ禍という状況から、不特定多数の人が集まる避難所への避難を避けた。

 ①については、ハザードマップで津波浸水域指定にされている地区に立地する飲食店が、避難指示が発令されている中でも営業していたという目撃情報もあります。また、①と②の要因が重なり避難しなかった場合もあると思います。また、③については、コロナウイルスの感染予防から避難所の駐車場の車内で一夜を明かす避難者も見受けられました。

 岩手県沿岸地域にお住まいの方であれば、遠隔地で発生した地震による津波として「チリ地震津波」を思い浮かべる方もいるかと思います。今回のトンガ津波を経験し、「地震を伴わない津波」と「コロナ禍での避難」という2つの課題について、考えを巡らすきっかけとなりました。

気象庁 「令和4年1月15日13時頃のトンガ諸島付近のフンガ・トンガ-フンガ・ハアパイ火山の大規模噴火に伴う潮位変化について」

NHK 「災害列島 命を守る情報サイト」
トンガ 大規模噴火と津波 何が起きたのかに迫る


岩手日報 「県内水産被害相次ぐ トンガ沖噴火津波調査本格化」

東日本大震災を語り継ぐ日

 岩手県では、「3月11日」を「東日本大震災を語り継ぐ日」とする条例が令和3年2月18日に制定されています。3月11日には県内各地(そして全国)で追悼や慰霊の行事が執り行われ、新聞・テレビ・ラジオで特集が組まれます。これはわたしたちの日常生活でもいえることで、3月11日が近づくと無意識のうちに東日本大震災のことを思い出したり、当時の体験が話題に上ります。みやっこベースでは、理事長の早川輝が震災復興関連のオンラインイベントに登壇するなど、団体としても毎年この時期には東日本大震災について話すきっかけが多くなります。

 また、みやっこベースのnoteで3月20日に掲載したインターンシップの期間中に3月11日を迎えることもあり、インターン生の発案で受け入れ企業の経営者から当時の経験を聞く会がおこなわれました。インターン生のほとんどが東北地方以外の出身でした。また、現役大学生のほとんどは、東日本大震災当時には小学生だった年代です。彼らはプロジェクトをおこなうなかで、市内各地を訪れましたが、いうまでもなく被災前の宮古を知りません。「震災以前の宮古」、「震災当時の宮古」、そして「初めて訪れた宮古」。東日本大震災を実際に経験した宮古の人間から話を聞くことで、彼らのなかで「3つの宮古」が交差したのではないかと思います。

 いまの宮古のかかえる「課題感の要因」としての東日本大震災を知ったうえで、インターンシップは進められていましたがその最終盤に起こったのが、3月16日深夜の地震でした。16日午後23時34分~46分にかけて3回の緊急地震速報が発表され、福島県と宮城県では最大震度6強の揺れを観測 。宮古市で観測した揺れは震度4でした(宮古市は観測点の地盤が硬いため体感よりも小さい震度が観測されることが多いです)。岩手県では津波の心配こそなかったものの、この時期の地震に敏感に反応する方も多いと思います。

 インターン生たちは慣れない土地で大きな地震を経験し、不安な夜だったと思います(まったく気が付かずに寝ていた子もいるようですが、、、)。

 ふりかえってみると、2021年は2月16日午後11時最大震度6強(震源:福島県沖)、3月20日午後6時最大震度5強(宮城県沖)の地震が発生しています 。なんでこの時期になると地震が多くなる(多く感じる)のでしょうね。

4  河北新報「トンガ沖噴火津波から1ヵ月 沿岸部に警報の岩手、避難少なく」

JR山田線(当時)の橋脚

▲東日本大震災で流出したJR山田線(当時)の橋脚

来(きた)るべき災害に備えて

 宮古市主催の今年の避難訓練は、3月11日午前6時5分に地震による津波大警報(巨大)が発表されたという想定でした。わたしは消防団員として管内の巡回と避難誘導に当たりました。

 先日参加した会合で、「3月11日早朝の避難訓練に参加したか?」という話題になりました。そのなかで、「震災が風化していなくても、避難訓練に出るかどうかは別の問題」「3月11日だからという理由で平日でも避難訓練をするのは手段と目的を取り違えている」という意見が出ました。

 東日本大震災を風化させないために、「3月11日だからこそやる」という思いも大切ですし、東日本大震災のような「犠牲を出さないためにやる」ことが大前提となります。今後、東日本大震災から年を重ねるごとに、「避難訓練の形骸化」する可能性は大いにあると思います。東日本大震災から11年が経過したからこそ、来るべき津波に備えた避難訓練のあり方を検討する時期に来ていると思います。

避難訓練直前

▲今年の3月11日午前6時頃、避難訓練直前の宮古市は晴れていました

 「風化」とあわせて考えて聞かなければいかないのが、「東日本大震災を知らない世代」への防災教育です。岩手県では県を挙げて「復興教育・防災教育」に力を入れ、学校現場ではさまざまな復興防災教育が取り組まれています。一方で、東日本大震災を経験していない教員が増えていることなど、取り組みへの課題も指摘されています。

 そのようななかで、母校でもある宮古市立第一中学校にて、1学年の総合学習の一環で防災教育の授業を担当させていただきました。内容としては、「自助・共助・公助の役割」や「避難時の心がけ」「中学生として災害時にできること」について、写真を交えてお話ししました。これまで地域防災についてそれなりに勉強してきた身ではありますが、中学生向けに話すのは初めてのこと。専門用語を、中学生でもわかるレベルまでかみ砕き説明することの難しさを痛感しました。拙い説明ながら、ふりかえりシートでその内容を感想として書いてくれている生徒さんがいて、安心したのは言うまでもありません。

授業の様子

▲コロナ禍ということもあり、事前に録画した授業を視聴する形で授業をおこないました

5  気象庁 「令和4年3月16日23時36分頃の福島県沖の地震について」
    NHK 「地震 16日の緊急地震速報 3回目の揺れは震度3」
地震本部 「2021年の主な地震活動の評価」

おわりに

 さて、今回の記事では、わたしの興味関心にぐっと引き付けた内容になりましたね。自分で書いておきながらいうのものなんですが、マニアック過ぎたかもしれません。

 自称ではありますが、災害や防災を研究する野良の研究者として、災害を研究することを目的(研究対象として消費)とするのではなく、災害を研究すること通じて、「災害を理解すること」やひとりでも多くの犠牲を減らすことに寄与したいと思います。

 また、東日本大震災後に地元の復興の力になりたいという志を持った「高校生たちの姿」から活動を始めたみやっこベースの一員として、2011年3月11日からこれまでの歩みを伝える役割を担っていきたいと思います。


【筆者プロフィール】

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1991年、現在30歳。
宮古市立山口小学校、宮古市立第一中学校を経て、岩手県立宮古高校を平成22年3月卒業。青森大学社会学部、筑波大学大学院人文社会科学研究科(修士課程)で社会学を学ぶ。地域社会学やライフコース研究、生活史研究の視点から、宮古市の消防団と東日本大震災をテーマにした研究をおこなう。平成28年4月に岩手県農業共済組合宮古地域センターに就職。
みやっこベースには、平成30年より理事として参画し、令和元年より副理事長となる。
そのほか、宮古市消防団第9分団、青森大学付属総合研究所客員研究員としても活動中。