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《ひと》 みやっこベースOG 佐々木真琴

こんにちは!みやっこベース広報チームの清水です。

みやっこベースに携わる方々をご紹介する連載企画《ひと》。
第9回となる今回ご紹介するのは、みやっこベースOG 佐々木真琴さんです。
高校時代から防災教育にフォーカスし、活動を続けている真琴さん。さまざまな価値観に触れてきた真琴さんの視点から、将来の自分自身、そして宮古のこれからについて語っていただきました。


まずはプロフィールから!

1996年生まれ、宮古市出身。中学2年で東日本大震災を経験し、炊き出しなどに参加する。
宮古高校に進学し、高校2年の夏にはTOMODACHIプロジェクトに参加。3週間のアメリカでの生活を経て、今後の人生を変えるほどのインパクトを受ける。
その後、子ども向けに防災を啓発する紙芝居づくりなど、オリジナリティ溢れる活動をスタートさせる。
大学卒業後、NPO法人プラス・アーツに就職。現在に至る。

超・多忙な高校時代

ーー私が真琴さんと出会ったのは高校生の頃でしたが、当時からとてもアクティブで尊敬していました!
震災以前も、まちづくりや地域での活動に関わりが深かったのですか?

中学校くらいまでは、地域おこしなどには全くと言っていいほど参加していませんでした。
高校の進学先を選ぶ際も、宮古を離れて内陸の高校も視野に入れたりしていましたね。
学級委員長や、バスケ部でリーダーを務めるなど、リーダーの役割を担うことは多かったです。まちに出て何かするというよりは、学校の中の活動が中心でした。


ーーそうだったんですね。確かに、高校でも生徒会や応援団など、たくさん活動されていたイメージが強いです。
さて、その高校生活の中で、みやっこベースの活動にも参加するようになっていくわけですが、きっかけを教えてください。

高校2年の夏にTOMODACHIプロジェクトに参加することになり、同じプログラムに参加する子がいるから来てみないか、と、当時生徒会で一緒に活動していた、みやっこベースOBの高屋敷新さんに声をかけられたのがきっかけでした。
そこから、TOMODACHIプロジェクト同期として、同級生の村井旬くん(※村井さんはみやっこベースOBであり、現在はゲストハウス3710のスタッフとして宮古で活動中です!)との繋がりもでき、積極的に活動に参加し始めた、という感じです。

高校時代は、とにかく多忙でしたね…(笑)
生徒会、応援団、夏休みにはTOMODACHIプロジェクトでアメリカへ、帰国後もみやっこベースの活動と、勉強や部活との両立で葛藤した時期でした。

実は、バスケ部に所属していたのですが、土曜日の練習はみやっこベースやTOMODACHI繋がりの課外活動に参加する機会を優先することが多かったんです。
そこで他の部員の子から、バスケ部の活動への熱量が足りないのではないか、と思われてしまいました。
それでも私は、みやっこベースを始めとした課外活動通して沢山の人と出会いながら成長したい、もちろんバスケもがんばりたいと思っていたので、部員全員の前で自分の想いをプレゼンして、納得してもらって…ということもありました。



ーーすごい!私だったらきっとどちらかを諦めてしまうと思います…!

そうですね、普通に考えたらそうだと思います(笑)。でも、我慢したり、自分の意見があるならきちんと話して理解してもらいたいし、妥協したくないんです。

自分の意思を貫いたエピソードがもう1つあります。
高校3年の夏、大学受験の追い込み真っ只中の時期に、NHKの防災番組「東北発☆未来塾」の「生き抜くチカラ(講師:永田宏和)」の回に参加しないか、とお声かけをいただきました。
まずは学校に連絡が来たので、担任の先生には想いを伝えて理解していただけたのですが、校長先生や副校長先生には「夏期講習も受けられなくなるし、お断りした方がいいのでは?」と反対されてしまいました。進学が全てではないはずだ!と思っていたので、こうして大人に夢を奪われていくんだなあ…と思ったりしましたね。

それでも、防災番組・プロジェクトに参加する方が自分の将来に繋がると意思を固めていたので、最終的にはそちらに参加することになりました。
そのプロジェクトで出会ったのが今勤務しているNPO法人の理事長だったので、自分の気持ちに正直になって本当に良かったと思います。

防災を、楽しく"伝える"


ーー自分の気持ちに正直になる、というのは集団での学校生活においてはとても勇気がいることだったと思います…!
高校の頃の活動がきっかけで現在のお仕事にも繋がっているということですが、どのような業務をされているのでしょうか?

「防災は楽しい」をテーマに、企業や教育機関、地域の防災に関するイベントの開催をプロデュースしたり、オリジナルの防災グッズを販売したりしています。
日本はもちろん、日本国外の数カ国にも防災のノウハウを伝える仕事です。
現在は東京事務所に勤務しているのですが、来年1月に神戸事務所への転勤が決まりました。担当する内容の幅も広がるので、とても楽しみです。引っ越したてのタイミングだったので、また引っ越しかー!というのだけが痛手ですが(笑)


ーーそれはリアルにつらい!(笑) ですが、真琴さんがお仕事にやりがいを感じていることが伝わりました!
少し話が遡りますが、「防災」というテーマを追求するきっかけを教えていただけますか?

高校2年のTOMODACHIプロジェクトの成果発表があり、そのプレゼンの準備段階で、自分の課題意識をブレーンストーミングして、考えをまとめた結果、防災教育にたどり着きました。

震災が起きた後の中学3年の頃、祖父母が災害公営住宅に住んでいたのですが、そこに遊びに行った際、子どもたちが遊ぶ隣の部屋で大人たちの世間話が聞こえてきたんです。
その中で、「○○さんは津波から逃げなかったから亡くなってしまって…」という会話をしていて、「逃げていたら助かった命があるんだ」と思い、それがずっと心にもやもやと引っかかっていました。

それからTOMODACHIプロジェクトを経て、成果発表として防災教育にフォーカスしたプレゼンをしました。宮古市田老地区の震災での死者・行方不明者数を含めて発表した時は、当時のデータで185名という数字に対して、「災害対策をしているから少ない数字で済んだんだね」といったリアクションが返ってきて、それにも違和感がありました。
確かに185名という数字は少ないかもしれませんが、ゼロではありません。その185名の中に私が幼い頃からの知り合いも含まれていたこともあり、「犠牲者が1人でもいる限り、その中の一人ひとりの人生がある」という想いも強くなりました。


ーー現在真琴さんがお仕事をされているNPO法人プラス・アーツさんでは、ユニークな防災イベント・教材をたくさん開発していますよね。
真琴さん自身、今後も防災にフォーカスして活動をしていきたい、という想いがあるのでしょうか?

はい、「防災教育」には正解がないからこそ、難しいテーマであり、追求し続けられるテーマだなと思います。
学生の頃は語り部のような立場で自分の経験を発信することが多かったですが、今は防災を「楽しく伝える」ことに重きを置いて活動しています。
防災に関してだけ言えば、私よりもっと専門的な知識を持つプロの人はたくさんいます。ですがそれ以上に私は「伝え方・見せ方」のプロであることを意識して仕事をしていて、例えば地域の防災を学ぼう、となった時に「他のまちや国の成功事例をコピーする」やり方では上手くいかないと思っているんです。
その地域に合わせた伝え方・見せ方を工夫することが大切だと思っています。

宮古の魅力と課題とは


ーーローカライズした伝え方、というのは必要ですよね。
その考えを宮古の町おこしに活かす、となった際に、宮古の強みとなる部分はどんなところだと思いますか?

良くも悪くも、住民同士の距離の近さ、ですかね。
閉塞感を感じることも、特に若者世代では多いと思うのですが、大きな都市では生まれない繋がりがあることが宮古の強みと感じています。

それから、水産業などの産業が根付いて、残っていることも大きな魅力だと思います。
その魅力を発信する、という点に関してはまだ課題が残っていますし、住民同士の繋がりは残しつつ、どのように発展させていくかが課題なのではないでしょうか。

【写真】2015年、目黒のさんま祭りにて。左は宮古市長の山本正德さん。

ーーその通りですね。水産業以外の産業もまだまだ伸びしろがありますし、真琴さんを始めとした、他の地域のコーディネートのノウハウを持った若者が新しい風を吹き込むことも大切だと感じます。
そのアプローチの中で、みやっこベースにできることはどんなことだと思いますか?

宮古の子ども・若者が自分のキャリアプランを明確に思い描けるようにするために、「みやっこタウン」という事業がありますよね。これをもっと深掘りしていくといいのではないかな、と考えています。
私の転勤先の神戸市では、「ちびっこうべ(https://kiito.jp/chibikkobe/)という職業体験イベントが継続的に開催されています。例えばパン屋さんをやりたい!となった子どもは店舗の外装・設計などから、プロフェッショナルの指導を受けながら本格的に、長期スパンで完成を目指していきます。

こんな職業があるよ、と紹介することとプラスアルファで、実践的なプログラムを充実させることでより明確なキャリア形成に繋がるのではないでしょうか。


ーーなるほど…!そういった意味で、宮古の密な関係性や、人脈も生きてきそうですね。既存の事業のパワーアップ、非常に参考になります!

さてここからはさらに踏み込んだ質問になりますが、真琴さん自身、将来宮古に戻ってくる、というビジョンはあるか伺いたいです。

そうですね、将来的に宮古に戻りたい、地元に貢献したいという思いはあります。
ですが、キャリアと結婚・出産といったライフイベントの両立は難しいという現実問題にも直面せざるを得ないのが正直なところです。
個人的には、キャリアもプライベートも充実させたいし、妥協したくない。その一方で、女性が活躍「しすぎる」ことへの逆風も、地方なら尚更あると思うんです。

実際、自分が子どもの頃には、ご近所さんや親戚付き合いに支えられて育ってきました。核家族の中だけで育てるというよりも、たくさんの人との関わりの中で子育てをしていきたい、という想いもあるので、そういった子育てが宮古でものびのびとできるようになったらいいな、と思っています。


ーーありがとうございました!


おわりに


さまざまな活動の中で多様な価値観に触れ、多くの知識やノウハウを身につけた真琴さん。みやっこベースの大人たちや仲間との出会いも、彼女の大きな支えになっているようです。
インタビューの中でもブレない芯を持つまっすぐな発言の数々に胸を打たれました!
特に女性としてのキャリアとライフイベントの両立、産業の伸びしろをいかに発信していくかが今後の課題だと感じました。

先月からマンスリーサポーター様にもご支援いただいているみやっこベース。
一人ひとり歩んできた人生の中にきっと、宮古をより良く住みよいまちにするヒントが隠されているはずです!
これからのみやっこベースの、宮古の発展にもご期待ください!!


【お問い合わせ】
NPO法人みやっこベース
メール:miyakko.base@gmail.com
電話 :0193-77-3809
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