空を自由に飛びたい

「そんな願いを叶えてくれる道具がこちら、タケコプター(※ただし自由の定義による)」
サラリーマンをしていると毎日こんな話ばかりだ。


帰省のシーズン。長距離運転が予想される。
私は長距離といってもせいぜい2つ隣の県に行くぐらいで、昨今の車はACCの搭載もあり運転も特に苦ではないのだけど、知人などにおいては帰省のために日本横断ぐらいの距離の移動が必要になるというところで何度か断念する姿を見てきた。
公共交通機関はあくまで公共なので個人の自由が効かない。単純な移動時間は短くても、手続きや準備にある程度余裕を持って臨む必要があるため結果的にドアtoドアの時間は車と変わらないこともある。

車が空を飛べたなら、タケコプターがあったならと想像することがたまにあるが、車が空を飛べたとしても移動速度が60〜100km/h程度であればフィールドが大地から空になっただけで距離に応じて時間もかかるし、総合的な快適性などは変わらないような気がする。かといって200〜300km/hを出すには空は自由すぎる。
タケコプターなんかはそもそも長距離移動用の道具ではないが、移動距離が伸びれば伸びるほどむしろ快適性が失われそうだ。


空を自由に飛びたい願いとは、具体的に何をどうしたいのだろうか。そしてそれは本当にタケコプターで叶う願いなのだろうか。
そもそもタケコプターは本来どういったニーズに応えるべく生まれた道具なのだろうか。

タケコプターは手段であり目的ではない。
依頼者へのヒアリングは足りているか。
本来の目的は依頼者の夢を叶えることであったはずなのに、タケコプターを提案することが目的のようになってしまっていないか、ドラえもんよ。
サラリーマンをしていると毎日こんな話ばかりだ。

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