ゴミを綺麗と言う感性

遠くから見て何か綺麗なものがあると思って、近づいてそれがゴミ山だったとして、それでも綺麗なものは綺麗だと思うのか、なんだゴミだったのかじゃあ綺麗じゃないねと思うのか。恥ずかしながら私は後者だ。

具体的であり抽象的である表現かもしれないが、上記の指標で前者の感覚を持つ人に対して私は本質的に話が合わないと思っている。
合わないから嫌いとかいう話ではなくて、むしろ合わないからこその面白さとかはあるのだけど、その人の主張の肝心なところを心から理解することはできないんじゃないかと感じることがある。
前提として、どちらかというと私のような後者の感覚を持つほうがおかしいのではないかとも思っている。なので私のこれはなんかちょっとした障害みたいなものなのだろうと考えている。ゴミが綺麗であることに価値を見出だせない病気。
似たような感性に対して、サイコパスだとか感情がないだとかいう表現はよく充てられていて、それもそれでそうだと思う。でもそれとこれとはやっぱなんかちょっと違うんだよな、私はサイコパスではないし。

話のオチがないので結びとするが、なにせ最近、あ、私ってたくさん色鮮やかに生える雑草のことを綺麗と思えないんだなと自認してしまったのだ。

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