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『憧れ』がいなくなった年

年末に一年の回想記を書こうと思っていたら、風邪で寝込んでしまい、すっかり年が明けてしまいました…
そんな訳で正月の朝に書いております
大谷選手の発言になぞる訳ではないですが、昨年を振り返るとそんな一年でした

良く、思春期に人生を変えるような出来事との出会いを表現する事ってありますよね
「雷で打たれたような衝撃!」「頭でハンマーを殴られたような!」
それで私の人生観変わりました。的な

僕にとってそれは、1995年12月6日でした
Hi-STANDARD GROWING UP TOUR @名古屋クラブクアトロ 
キャパシティ550名
チケット代はちゃんと覚えてないけど、2,500円位とかじゃなかったかなぁー

駅のコインロッカーでTシャツ一枚に着替えて、8Fのクアトロへ
既に熱気むんむんなフロアに浮かんでいたのはコンドームを膨らました風船でした
まだ童貞だった(笑)僕にはそんな光景も愛交じり

「うわ!世の中にこんな自由な空間があるんだー」

というショックを受けたその映像は今でもくっきり脳裏に残っています
ライブの衝撃は言わずもがな。。。ですよ。


会場で配布された「GROWING UP」のサンプルCD 今となってはかなりのレア物?

証拠にもなくBANDに目覚めて、ドラムを練習しまくり、就職活動もしないまま22歳で上京して、気づいたら裏方としてclubasiaで働く生活を送るようになった人生(かなりこの辺りの説明は、端折ってますが)

幸いにも仕事でツネさんとは接点を持たせて頂く機会も持てるようになり、出演の間に色々とプライベートなお話もさせて頂き、その繊細で言葉を選ぶ話し方や謙虚な立ち振る舞いは、憧れの先輩像そのものでした

僕がasiaを辞めた時にツネさんからお電話を頂いた事を覚えています
「エイジアを辞めるって聞きました。三宅君にはお世話になったんでお礼の電話をと思ってね。」と。
天下をとったアーティストがイチ店舗の僕に直接電話をしてくれる。こんな事があるんだと
辞めた当時は、色々とありましたが、こうして15年経った時に全てを良き思い出にしてくれたのは先輩の一声だったんだな。とも思い起こす感じです

1999年8月22日 MAKING THE ROAD TOUR@静岡サナッシュ 会場スタッフとして手伝いさせて頂いて、打ち上げにてツネさんとの一枚。当時自分は20歳

そこからも、GReeeeNのマネージメントや、ONE PIECEのテーマパークの仕事をしてる最中も、なんていうんでしょうか、迷った時の判断の基準や、自分の仕事の在り方を振り返る羅針盤的なモノって、結局は憧れの先輩達が築いてきた事が教科書的にあって、そんな大きな空気の中で自分は時を過ごして、気づけば40代半ばまで来てしまってるんだなぁ。と

訃報を知った時は、もちろん・もちろんショックでした。
が、「いつまでもあると思うな親と金」じゃないですけれども、いつかはそんな日が来る事は人生的にはある訳で。ただ、思った以上にそれからの日々が上手くかみ合わない感じではあったんですよね

楽曲は残っているし、映像だって観たければ観れる
ただ、そういう事ではなくて、迷った時に寄り添える精神的なお寺が無くなった感じ。といいますか
先輩世代に甘えていたんでしょうね。先輩たちの教科書に沿った判断をしていれば良かった。そうすれば、少なくとも自分にはそれがカッコいい男の姿だと思い込ませる事が出来ていた。そんな魔法がもう使えない事に気づいたと言いますか。

「あっ、これからは、俺は自分自身で考えて、自分自身で道を決めないといけないんだ」と

思考回路が変わってきている事に気づく。
頼りたいが、ノスタルジー的に触れたくはない。そんな感情も強くあって

「同世代達との再会」

コロナも明けて、自分の生活も山梨の役目を一旦終えたので、夏前から東京に戻ってきています。
すっかり変わってしまった渋谷で暮らしながらも、時折、同世代の場にも足を運び嬉しい再会が後半は増えてきたかなぁと
12月13日にRIZEの活動再開ライブ@clubasiaに足を運ぶ。
僕の中では同窓会の様で同窓会ではない空気を体現できた良い一夜だった。
色々あった彼らがまたここから一歩を踏み始める。JESSEがMCで言っていた

「ここんところ、色んなロックスター達が逝ってしまった。俺たちだっていつそうなるか分からない。会える時に会おう!集まれるときに集まろう!」

と。そんな年なのだ、俺たちも。

同年代のドラムヒーロー RIZEのアッ君と

大晦日の夜、紅白歌合戦のラストの楽曲に友の曲が流れている事を聴きながら、先輩からもらったDNA的なモノが俺たちにはあって、それを自分なりに消化して次世代に伝えていくのも、心の中にしまって只の思い出にしてまうのも全ては自分次第なのだ。と認識した一年の締めだった

明けて新年、特に「今年、これやります!」的なものがある訳ではないですし、僕が再びハコをやるのか?というような単純な結びつけをする気もないです。

憧れがなくなった時に、自分はどんな価値観をどんな形で表現する事ができるのか?
辛うじて、まだそれを表現できる年齢と発信できる環境にいるのであれば、それに向き合って、色々な人と会って&話して、見出していく一年になるのかなー
とぼんやり感じている元旦です

本年もよろしくお願い申し上げます

                        2024年元日 三宅和也

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