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遠い記憶 第九話

お宮と言うと、何処か静かな所の様に思うかも知れないが
結構に忙しい。
初参り、七五三祝い、二十歳の成人式、結婚式と・・
又、行事の無い時には、近所のママさんバレーの、体育館代わりと・・
秋には、市内上げての、お祭り、
境内には、土俵が作られ、お宮の、脇には、弓道の的が置かれ、
お祭り、何か月か前から、夜は獅子舞の稽古。
ドンドン、ピーヒャララ、ドンドン、ピーヒャララ
まるで、絵本の中のお話の様だけど、実際は、うるさくて、寝れたもんじゃ
無かった。
お祭りの当日は、社務所が休憩所になる為、
私達は、昼間外へ出て、時間を潰さなければならなかった。
帰る頃は、もう日が暮れている。
帰ったら、帰ったで、家の中は、タバコと、お酒、食べこぼし、
これまた、掃除しないと、布団も敷けない
朝は、まだ暗いうちから、廣子起きろ!
新聞に、チダシ入れろの、かん高い声。
その声に、ビクッとして、声も出ない。
多分、殆ど目は、まともに開いていなかったと思う。
ただ、黙々と入れる、時間との闘いだった。
小学生の、私には苦痛の何物でも、無かった。
今思うと、何時もビクビクしてた様に思う。

ただ、一つ
私が、唯一心癒される場所があった。
それは、お宮の、裏鬼門に当たる場所に、
大きな、古樹があった。
大人の人が、数人で囲んでやっとの大きさだったから、
かなり、大きな古樹木であった。
その幹に割れ目があり、
横から、滑る様に入ると人一人座れる程の、空間。
まるで、トトロに出てきそうな空間。
そこに、座っていると、暖かく、
まるで、母の腕の中に包まれている様な感じだった。

そう
そのお宮の、大きな古樹は、どんな時も、必ず私を待っていてくれた。
悲しい時、辛い時、私はその古樹の懐の中に居た。
足元には、どんぐりや、椿の実を、コロコロと・・・
今でも、あの樹の懐に、揺られている自分を、思い出す時がある。
今まで、経験した全ての中で、
一番、居心地の良い場所だった。

そこには、母も来ない、酒で叫ぶ父の声も届かない、
何処からか、聞こえるのは、小鳥のさえずりだけだった。
子供ながら、知らずしらず、自分にとって、一番元気を
与えてくれる場所だと、判っていたのだろう。

そんな、お宮時代、それでも
今に思えば、懐かしい。

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