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『映画を撮りながら考えたこと』(是枝裕和著)の書評

【自問自答こそが創作の源泉】


 最近、『対話』という言葉をよく耳にする。一方で『不寛容』『離脱』なんて言葉も目にする。「見事、対話に成功!」なんて日は来るのだろうか。そんなことをこの本を読んで考えた。
 本書は映画監督、是枝裕和さんの著作である。新作映画のメイキング本でも映画評論の本でもない。愚直なまでに撮りながら考えたことが記されている。創作上の自問自答とでも言おうか。それがめっぽう面白い。
 業界のムードになじめず、理想と現実に引き裂かれた青春期のエピソード。歴史が語り尽くされたテレビや映画の世界に、果たして自分は必要とされているのだろうか。そんな後ろめたさから本書は始まる。
 是枝氏は逃げない。いや、そう書くと勇まし過ぎるか。真正面から戦わない。そこが面白い。若い頃から、氏は安易な答えに落ち着かず、グズグズと逡巡(しゅんじゅん)する。
 自分に向いているのは映画なのかテレビなのか。ドキュメンタリーなのかフィクションなのか。居場所を探すように、正しく揺れている。そこで読者は是枝作品の登場人物たちを思い起こし、なるほどと納得する。
 親に捨てられ居場所を失った少年。あだ討ちができない臆病な侍。正解の父親の間違った振る舞い。互いを見捨てられないけど復縁もできない夫婦…。
 どの登場人物も確信を持てずに生きている。ハッピーエンドに取り残された人たちだ。次なる逡巡へと彼らが踏み出すまで、是枝作品は急(せ)かさない。
 是枝氏の創作の源泉でもある自問自答は、自己との諦めない対話だ。その対話に安易な成功はない。氏は分かり合えそうな解答を疑い、あえて二項対立の先にある難しさに進む。自問自答上手は対話上手。その苦しくも豊かな往復運動が、対話の真意なのかもしれない。
 それにしても、映画監督というのは業(ごう)の深い人たちだ。へそ曲がりでグズグズしていて幸せを疑っている。そのくせ観客を信じている。対話を求めている。
 評・宮地昌幸(アニメ監督)
 産経新聞2016/8/28掲載

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