大地の子
覚えていらっしゃる方も多いと思う。1996年にNHKで放送された「大地の子」。原作者の山崎豊子が約3千人の中国残留孤児を取材して10年近くの年月をかけて書き上げた小説のドラマ化であった。
満州に取り残されて残留孤児となってしまった陸一心は、幸いなことに中国人の養父母に引き取られ深い愛情を受けて育つが、文化革命で想像もつかないような苦労を強いられる。それを救ってくれたのも中国人の養父であった。その後日中の国交が回復し、日中共同の製鉄プラント事業のスタッフとなった一心は日本人の父親と再会する。日本の父は戦後ずっと中国にいるはずのわが子を探していたのだった。
愛情あふれる二人の父親の間で揺れる一心であったが、日本の父の「日本に帰って来てくれないか」という願いに対して号泣しながら答える。「私は大地の子です」と。大地とは自分を育ててくれた中国の大地の事だ。
このシーンをはじめてみた時、私はよく理解できなかった。とんでもなく苦労させられたこの大地にどうして愛情を抱くことができるのかと。
しかし、年齢を重ねていくと「私は大地の子です」という意味や感覚がよくわかるようになってきた。
私が生まれ育った沖縄は奄美と同様に亜熱帯の自然が豊かな島々である。しかし子どもの貧困など課題も多く深い。それらをなんとかしたい、沖縄の役にたちたいと若い頃から考え勉強してきた。
しかしある時気が付いたのだ。その前に、私は沖縄という大地に育てられてきたのであり、私自身が沖縄に生かされているのだと。そこから始めなければ、「沖縄をなんとかしよう」と思う私はただの傲慢な思いあがった人間でしかない。極端な場合、沖縄を上から目線で批判するだけで何かをなしていると勘違いしてしまうだろう。自分を育ててくれた沖縄を知ろうと努めることが基本だ。
沖縄が抱える様々な深く大きな問題に心が折れそうになる時、私はこのドラマを思い出すようにしている。