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第二章 覇権国家の興亡の中でのイノベーション

歴史的に見てみると、世界の覇権国になった国は、有能な人材をリクルートし、イノベーションを興していろいろの技術を開発し、その力で世界制覇を成し遂げた。 

スペイン・ポルトガル

スペイン・ポルトガルは、大航海技術を開発して東西に大航海の旅に出て、いろいろな国を植民地にして、アメリカ大陸を見つけ、世界の富を収奪した。

オランダ

オランダは、造船技術を開発して他の国々に対していろいろの船舶を建造してそれを売って儲けた。オランダ自身も自分で建造した船でバイキングとして物資を略奪したり、物資の輸出、輸入をして富を築いた。

イギリス

イギリスは、ユダヤ系の有能な人材を外から呼び寄せて、イノベーションを進めた。イギリスは産業資本家と金融資本家をつくり「産業革命」を起こした。繊維産業、蒸気機関、鉄道産業、船舶事業を勃興させた。ここで産業資本家と金融資本家が生まれ、大工場制工業で産業資本家がイノベーションをやった。

蒸気機関の発明で紡織機と鉄道の機関車を開発し、紡織産業、鉄道産業を起こし、社会インフラを作り上げた。これに金融資本家が資本を投下した。イギリスはインドから手加工の高価な衣料を輸入し、消費していたが、紡織機械を開発してから、インドから綿素材を輸入して紡織機で布にして衣料を大量生産した。その衣料をインドに輸出した。これでインドの衣料産業は壊滅し、インドをイギリスの完全な植民地にした。

アメリカ

アメリカは、イギリスを追い越すために、ヨーロッパの技術を拝借して「大量生産技術とシステム」を開発した。その技術によりモーター、小銃、金銭登録機、自動車Ford Model T, 自転車などを大量生産してコストを下げ、大衆に買わせて、アメリカを「高度大衆消費社会」にし、世界一の経済大国になった。

1950年ころからアメリカは政府と産業が一緒になってイノベーションを興し、半導体産業、コンピュータ産業、通信機器産業、インターネット技術、スペースシャトル・航空機産業を開発した。そして先端兵器産業をつくり、軍事大国にもなった。

同時にアメリカのワシントンは、軍産複合体・ウオール街・ネオコングループ(Deep State)に乗っ取られ、アメリカは世界のあちこちで戦争を仕掛けて、儲けることに走りだした。アメリカは朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争などを仕掛けた。

1981年からレーガン大統領のもとで新自由主義を旗頭にしてグローバル化に走り、アメリカの多国籍企業が安い商品で世界経済の「独占体制」を作ったが、これがアメリカ経済を逆に衰退させてしまった。同時にレーガンはソ連と軍拡競争という消耗戦を仕掛けた。一部の政府役人が国の金を使い、先端技術を開発し、これを軍事兵器に使った。それ以降アメリカ産業はイノベーションには手を付けなくなった。

アメリカ経済の衰退をカバーするために、アメリカの中央銀行(FRB)はドル紙幣を印刷して世界にばらまき世界の富を収奪し、世界の資産をアメリカに吸い上げてきた。こうしてアメリカは「借金経済」にして延命を図っている。アメリカは世界の警察の座から降り、経済が疲弊したために中国やロシアに戦争を仕掛けることができなくなった。

日本

日本は、敗戦後アメリカより資本と技術を与えられ、経済の復興を進めた。技術や商品はアメリカを手本にして、それを基に、アメリカのものより良いものを開発しようと努力した。政府は、傾斜生産方式を策定し、政府と民間が一緒になり、重点産業として石炭産業、鉄鋼産業、セメント産業、鉄道産業、造船産業、石油化学産業などを開発した。

そして1960年、池田内閣が「国民所得倍増計画」を掲げて、国民運動として、日本生産性本部を創り、国民は生産性向上に励んだ。その結果、日本の商品は先生のアメリカの商品より優れたものが生まれてきた。これで国民の所得は大きく伸び、国民は豊かになった。日本に開明的な企業家がでてきて優れた繊維製品、ソニーのウオークマン、東芝・三菱の優れた家電商品、トヨタの低燃費・低排気ガスのコンパクトカー、シャープの小型電卓、安川のロボット、キャノンの卓上プリンター、更にアメリカから教えてもらった半導体技術で、NECのDRAMやVシリーズ・プロセッサー、坂村教授のトロンなど、アメリカを超える多くの商品が開発された。これは日本の企業家精神をもった政府官僚が産業と一体になりイノベーションを進めていった結果であった。エズラ・ボーゲル教授が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言った。

アメリカが日本産業を増強させたのは、ソ連、中国という共産主義勢力が力をつけてきたために、日本を極東の防波堤にしようとして、日本の産業に力をつけさせた。しかし日本産業があまりにも大きな力をつけ、アメリカ産業をアメリカ市場で追い落してしまったので、1985年ころからアメリカは日本をたたき始めた。日米貿易交渉、日米構造協議、日米半導体戦争を通じて、アメリカは日本を恫喝して日本産業(半導体産業、自動車産業、家電産業)を弱体化させた。

半導体についていえば、アメリカは日本が使う半導体の20%のものを品質の悪いアメリカ製の半導体にせよと命令してきた。これで日本の半導体産業は一気に衰退した。日本の半導体企業は2008年のリーマンショックを契機に東芝、パナソニック、三菱電機、日立などは大規模なリストラをして半導体製造部門を廃却し、台湾などに売却した。富士通、パナソニックの設計開発部門を縮小統合してソシオネクストにした。これで日本では独自の半導体SOC製品を開発しなくなった。かつて日本の半導体ビジネスは世界市場の50%を占めていたが、今では10%を切るまでになった。

日本の産業は、国内に需要がなくなったので海外に工場を移し、国内での生産活動を止めて、内部留保の金を海外の企業に投資し株価の値上がりを求めるようになった。日本産業はマネーゲームに走ったのである。
日本は、最近のアメリカと同じように、イノベーションをギブアップした。日本はIT、デジタルビジネスが先進国から大きく引き離されている。

日本は貿易黒字国から貿易赤字国に転落した。日本政府は赤字国債を発行して何とかGDPを減らないようにしている。これから日本経済はデフレに陥り、「失われた30年」が始まった。しかし現在でも日本はデフレから抜けることができていない。今はデフレより怖い「スタッグインフレ」に陥っている。日本の実質賃金は下落し続け、国民は疲弊し、生活保護を申請する人が激増している。

中国

1978年に中国の鄧小平は「改革開放政策」を打ち立て、資本と技術・商品を外国から呼び込んで商品を造る「世界の工場」を確立してから、中国経済は飛躍的な発展を遂げた。2010年にGDPで中国は日本を追い越し、世界二位の経済大国になった。中国の安物商品が世界に流れ、グローバル化が一段と進んだ。しかし中国の労働賃金は上昇し、「世界の工場」は成り立たなくなった。中国に工場を造った外国企業は中国を離れベトナムやバングラデシュに移った。

中国経済の35%を占めていた不動産・住宅建設もバブルとなりそれが崩壊し、破産してしまった。そのなかで中国にはアメリカの技術をまねしてIT産業が勃興し、イノベーションを推し進めた。アリババやテンセントやホアウエーである。また学習塾という教育産業が拡大した。しかしIT企業が発展すると、その経営者たちは自由・民主主義のない共産党体制を批判し始めた。そのため習近平は、中国人民に対して言論弾圧をして、中国のIT企業を締め付け、潰し、資本主義的活動を抹殺してしまった。

習近平は中国をマルクス・レーニン主義に戻そうとしている、つまり習近平はイノベーションを殺したのである。これで中国経済は崩壊してきた。今多くの中国国民の中から自分の財産を持って外国に逃亡する者が出てきた。中国共産党組織はいずれ崩壊するであろう。

2024年4月14日  三輪晴治