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アメリカ人も理解できない日本経済の停滞と覇気を失った日本人

「日本経済の失われた40年」
第1章 この世には不思議なことが多すぎる

1.4 アメリカの属国になった日本

属国を選んだ吉田ドクトリン

太平洋戦争後、日本はアメリカGHQに占領された。ところがサンフランシスコで講和条約が署名されてから、アメリカは「ドイツのように、日本も独立国になりなさい」と言った。しかし吉田茂首相は「日本はアメリカの従属国として生きていきますので、日本をアメリカ軍による占領状態にしておいてください」とGHQにお願いした。当時の天皇陛下も「米軍は沖縄に駐留し続けてほしい」と言われた。アメリカDeep Stateは、表面上は「日本は独立国になったらどうですか」と言ったが、同時に吉田茂には「日本をアメリカの属国にする」と申し渡したのである。アメリカDeep Stateは二枚舌を使った。

一般のアメリカ人には、日本がアメリカの従属国、植民地になりたいと思っていることは全く理解できなかった。吉田茂の側近であった白洲次郎は「吉田茂の犯した最大の間違いは、自分も同行していったサンフランシスコの日本独立が認められた講和条約の国際会議でアメリカが作成した日本国憲法の破棄を宣言しなかったことだ」と言った。

日本の戦前・戦後において、日本の政府要人、財界要人にとっての知恵袋は安岡正篤(まさひろ)であった。安岡正篤は、吉田茂をはじめとして佐藤栄作首相、福田赳夫首相から中曽根康弘首相に至るまで、昭和の歴代首相の指南役を務め、さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。しかし石橋湛山と田中角栄は安岡正篤に距離を置いた。

安岡正篤は「四書五経」を読み、陽明学を極めた哲学者であった。安岡正篤は昭和天皇に意見を具申し、終戦の時の昭和天皇の玉音放送の原稿を読み、加筆したし、日本の年号の起草に関わり、最後は平成の年号も彼が起草した。安岡正篤は皇室を中心とする日本の国体を守ることに力を尽くした。安岡正篤は、制度より官吏を重視した。どのような制度であれ、それを運営する官吏が人物的に不適格であれば意味がなく、まして共産主義イデオロギーに染まっているものでは国体が内部から転覆されると考えた。つまり制度はどうあれ、それを運営する優れたリーダーがいれば、国は繁栄すると考えた。この安岡正篤の考えを基に吉田茂首相は、戦争をしないで、アメリカの属国になって、日本の天皇制の国体を守ろうとしたのである。「韓信の股くぐり」である。
これにより「少し金を払ってアメリカを日本の番犬にして守ってもらい、日本は経済の発展に力を入れる」という「吉田ドクトリン」が貫かれた。このために日本は自ら進んでアメリカの属国になり、日本を主体性のない、アメリカの言う通りに動く国にしたのである。

アメリカは日本に、アメリカの属国からの脱却を促しているが

2024年4月13日、岸田首相がアメリカに訪問して、米上下両院議会でスピーチし、バイデン大統領に対して「あなたの言う通りに動きますので、何なりと命令してください」と言ったのである。つまり、「日本は、アメリカとのグローバル・パートナーとしてアメリカの戦争屋と一緒に戦います」。日本の自衛隊はアメリカ軍の指揮下に入って世界で戦うことになった。レーガン大統領の時のスピーチライターであった者が岸田首相の今回のスピーチの原稿を書き、岸田首相がプロンプターでそれを読み上げたのである。筆者の友人のアメリカ人は、何故日本の首相がこんなことを言うのか全く理解できないと言っていた。

2024年6月6日、ドナルド・トランプ前大統領陣営のシンクタンク「米国第一政策研究所(AFPI)」の外交政策担当代表を務めるフレッド・フライツ氏と中国問題担当の上級研究員スティーブ・イエ―ツ氏は、東京都内での産経新聞の単独インタービューで、次のように述べた。「経済やエネルギーなどのあらゆる面で特定の国への依存度を減らすことが肝要だ。中国軍は上海交通路(シーレーン)に挑戦しかねない攻撃的な存在だ」。日本に対しては「自国のエネルギー輸送を妨害された場合でも、日本の国民生活を守らなければならない。より強く自立的で協力的なアメリカの同盟国・同志国の存在は中国政府の頭を悩ませることになるであろう」「同盟のさらなる強化に向け、日本はエネルギー安保や食糧安保、サイバー防衛などあらゆる面で自立性を高める対応を進めることを期待したい」と強調した。つまり日本は、アメリカの属国から脱却して、独立国になり、アメリカと対等の同志国・同盟国になりなさいと彼らは言っているのである。
しかし今日の日本人政治家、産業人は自主独立の精神をなくし、アメリカの命令に従って動く。アメリカの人は、何故日本人が自主独立の精神を捨てたのかが全く理解できないと言う。

1.5 日本経済の失われた40年

しかし、アメリカの人が最も理解に苦しむのは「日本経済の失われた40年」である。この30年間、デフレが続き、日本のGDPは停滞し、実質GDPは下落している。しかもこの状態が40年間も続こうとしているのである。G7諸国の中で、日本だけが実質GDPが下落している。日本のGDPは経済が停滞しているドイツに抜かれ世界4位になり、もうすぐインドにも日本は抜かれることになる。

日本の実質賃金は25か月間連続して下がり続けている。日本国民にはまともな仕事がないので、貧乏になってしまい、食事も満足に取れないので、結婚もしないで、鬱になったようにうずくまっている。そのために少子化が進んで、日本の人口も減少し続けている。

この日本の経済の衰退で、国民は貧困化し、国民は生きる覇気を失った。日本国民の幸福度が下がっている。国連でも世界の国民の幸福度を数値化しているが、国連の「世界幸福度ランキング」によると、2019年に世界156か国を対象にした調査では、日本は2018年より4つ順位を下げ58位であった。2020年は62位であった。2014年は46位であったから、日本の幸福度は年々下がっていることになる。G7諸国の中では日本の幸福度が最低である。
日本経済の低成長、デフレ、実質賃金の連続的下落、社会保障料などの国民の負担増加による国民の生活の苦しさが悪化している。日本の幸福度の低下の原因は、家族の絆が崩壊し、非正規社員と正規社員の賃金・福利厚生の大きな格差が起こり、官僚や政治家の腐敗で、国民は政治家と政治を信じられなくなったことが原因である。政府は、LGBT法案を可決し、日本の家族制度をさらに壊そうとしている。

不安感が強い若者、日本を捨てる若者

今の日本人には不安感が強い。特に日本の若者は生きる上での不安が強い。若者が安心して、希望を持って生きていける国にしなければならない。芥川龍之介は「ぼんやりした不安」と言って、睡眠薬を飲んで自殺した。旧制一高の生徒であった藤村操は「万有の真相は唯だ一言にして悉す曰く不可解我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る」という遺書を残し、日光の華厳の滝の上から飛び降り自殺をした。今の日本人は芥川龍之介や藤村操のように、自分の人生の意味が分からなくなり、悶々としている。ただ元気のいい若者は、日本では賃金が安くて生きていけないので、日本を捨て、外国に出稼ぎに出ていく。

1980年代には、アメリカのシリコンバレーのベンチャー企業は、新しい技術・商品を開発したらまず日本市場で売れるかどうかを確かめるために、日本に来た。日本でその技術・商品が売れれば、世界で売れると彼らは信じていた。筆者のもとに、シリコンバレーのスタートアップ企業のトップが訪ねてきて、どのようなビジネス・モデルで日本市場に進出したらよいかを相談に来た。しかしここ20年そのようなシリコンバレーのベンチャー企業は日本に来なくなった。日本のハイテク産業とその市場が消えてしまったからである。
 アメリカのシリコンバレーの友人たちは、何故このように日本の経済・産業が衰退してしまったのかが理解できないと言う。しかも40年間という長い間、日本人が何故覇気を失った状態になって生きているのが理解できないと言う。40年間とは人間にとって決して短い期間ではない。

明治維新から現代に至る日本のGDPの推移

世界の歴史的な経済の推移の中で、日本のGDPと世界のGDPの関係を見ると、明治10年(1877年)では日本は世界全体の3%であった。しかし明治時代、大正時代の日本は「富国強兵」政策で経済力、軍事力を急速に伸ばしていった。
太平洋戦争で敗戦してから日本のGDP は下落し、終戦直後は世界全体の3%に落ちた。しかし日本は「傾斜生産方式」と「国民所得倍増計画」で、奇跡的な経済成長を遂げ、1994年には日本は世界全体のGDPの18%を占めるまでになった。しかしそれ以降日本経済はグローバル化に走り、経済は衰退し、2023年には4%に落ち、2024年は3%に落ち込まんとしており、「失われた40年」となろうとしている。

アメリカのGDPとの対比で見ると、1920年ころは日本のGDPはアメリカの14%、1939年には22.7%に上昇した。アメリカは、日本の明治維新から「富国強兵」政策で高経済成長を遂げたことを見て、日本という国はアメリカにとって恐ろしい国だ、いつかアメリカに対抗する強国になるとした。このためにDeep Stateは「オレンジ計画」を作り日本を攻撃し、日本を弱体化する戦略を立てた。これは「トゥキュディデスの罠」である。このためにアメリカは1941年、ハル・ノートで日本に対して太平洋戦争を仕掛けたのである。アメリカはまず日本への石油の輸出をストップした。これにより1944年にはアメリカのGDPに対する日本のGDPの比率は11.5%に下落した。
この状態で太平洋戦争に突入した。
しかし戦後、日本は、復興計画を立てて、経済を急成長させて、1968年にGDPでアメリカに次ぐ世界第二位になった。そして1978年日本のGDPはアメリカGDPに対して31.5%に上昇した。しかし1990年以降日本経済はグローバル化に走り、経済は衰退し、2023年にはアメリカGDPに対して15.6%に落ちている。

「景気がいい」状態を想像できない40歳以下の若者たち

これまでの資本主義経済社会の長い歴史の中で、色々の経済学者が国の経済を成長させる方策を、実績データをもとにして、明確に示してきた。今では誰でも経済成長への基本的な道と方策を知っている。しかし日本の政治家、官僚、産業人は、日本経済を停滞させたままにしている。アメリカ人は、日本の政治家と産業人が何故この日本経済を衰退させたままにしておくのかが理解できないと言う。

40歳以下の日本人は、日本経済が成長している状態を見たことがないので、景気がいいとはどんなことなのかが想像できない。

2024年6月20日
三輪晴治


次回は以下の章節を掲載します。
第2章 人間の経済社会の基本構造
2.1 これまでの経済学
2.2 日本の経済社会の問題点

次々回の掲載予定
2.3 日本産業のリーダーは日本経済を衰退させた
2.4 日本の政治家による日本経済の弱体化
2.5 日本が進む道