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ルーズベルト大統領はアメリカ国民を騙して開戦した

問いと結論(第1章と第18章の要約です)

ビーアドは第1章で次のように問いを投げかけました。
『ルーズベルト大統領は、アメリカを戦争に巻き込まない、としたアメリカ国民との誓約に道議上の責任と道徳的な義務を抱えていたはずである。しかし、実態はどうであったのか。』

そして、最終章の第18章で次のような解釈・評価に至っています。
『合衆国大統領が公に事実を曲げて伝えておきながら、密かに外交政策を遂行し、外交を樹立し、戦争を開始する制約のない権力を有するという理論に到達した。』

ルーズベルト大統領の「国家を戦争に巻き込まない」という誓約と道義的責任

ルーズベルト大統領は選挙期間中、「アメリカを戦争に巻き込まない」とい民主党の反戦公約に加えて個人的にも明確に反戦を宣言した。
大統領就任後は自身の政策を、「戦争に反対する政策であり、合衆国の平和と安全を追求する政策である」と繰り返し説明した。
また、ヨーロッパで戦争が始まった1939年1月以来ずっと「アメリカが戦争に巻き込まれずに済むだろうか」という問いに対して、記者会見でも、国民向け演説でも、文書でもずっと同じ回答を繰り返してきた。「合衆国は戦争に関わるべきではなく、また、関わらない。」
1941年12月に日本の真珠湾攻撃によって開戦に至るまで、ルーズベルト大統領はこの外観をずっと保ち続けた。

これらの国民との約束は守られるべきだったし、大統領が外交を遂行するにあたっての明確な義務だったし、法律を制定する民主党の上下院議員に課された明確な義務だった。

しかし、ルーズベルト大統領の外交行為に関する公式の説と実態との間には矛盾があったことは明白である。
この矛盾を、多くのアメリカ人は次のような好意的な解釈をしてきたし、今(1948年当時)もしている。
「多くのアメリカ人は自分達に迫る恐ろしい脅威の現実を認識したり感じたりできなかったので、反戦を唱えていた。だから、大統領選挙戦では反戦派を基盤に持つ共和党候補に勝つためにルーズベルト大統領は自分の本心を偽わなければならなかった。さらに、1941年になっても民主党議員も共和党議員も戦争に関与することに激しく反対し続けたため、表向き防衛的な政策を維持しなければならなかった。しかし、ルーズベルト大統領が外交上とった政策は素晴らしい最終目的のために正当化される。」
この好意的な解釈は1943年7月発行の国務省文書「平和と戦争」でも支持されている。

では、「素晴らしい最終目的」は達成されたのか。いつか達成されるのか。

外交上の帰結

「4つの自由」と大西洋憲章の諸原則が戦後の各合意から排除された。
ヒトラー体制に劣らず専制的で非情な全体主義政権のソ連が大勝利を収めた。これで、合衆国を戦争に巻き込むためにとられた手段を「目的」が正当化したと言えるのか。

参戦がもたらした国内問題

ユニバーサル・サービスという穏当な呼び名で徴兵制が敷かれ、若者は軍に召集される可能性が出てきた。
1947年の軍事支出は戦前の年間予算の数倍の水準に膨らみ、巨額な国家債務により国民には重い税負担が課された。
1946の連邦議会選挙では民主党が惨敗し、分裂した。
1947年、トルーマン大統領は「トルーマン・ドクトリン」政策で中東の小国に金と軍事的「助言」を行うという支援を無制限に提供する計画に乗りだした。

このように、若者は将来の計画が立てられなくなり、議会は国内と海外でどの程度の支出と課税が必要となるか推測するしかなくなり、企業は軍需生産が見込まれる中、民需物質について先行きの生産を一切保証できなくなった。
合衆国政府や国民が、国内の経済、生活、問題にまともな見通しを立てることが不可能となった。

「アメリカの立憲体制」との関連から判断する

憲法は連邦議会にも大統領にも、国家の外交上や内政上の目的を秘密裏に決定する無制限の権力を決して与えていない。また、立法府でも行政府でも、そうした目的を達成するために望ましいとみなした手段を密かに選択し、採用する権限を与えていない。大統領も、連邦議会議員も、その他の政府高官も、全員が憲法を支持し、擁護すると宣誓する。法的な誓約は倫理的な義務を一切含まないというのでない限り、また、宣誓は空疎な儀礼に過ぎないと軽視するのでない限り、外交はアメリカの政治システムに不可欠な合衆国憲法、法律、民主主義の規定に従属する。

それでも、連邦議会真珠湾攻撃委員会の記録やその他の文書に記されているルーズベルト大統領の外交の前例がとがめられず、法的にも、倫理的にも適切だったと受け入れられていくならば、

合衆国大統領は、再選を目指す選挙の運動期間中に、「この国は戦争に参加するこはない」と国民に対して公の場で約束しておいて、選挙に勝利した後、国に戦争をもたらすため、あるいは、戦争をもたらすことが事実上必須の行動に密かに乗り出してよいことになる。

合衆国大統領は、その秘密の目的を推進する法律を成立させるための連邦議会と国民に、その法律の趣旨を偽ってもよいことになる。また、そのようにして法律が施行されたとして、その後も、その法律のもとで実施を目指す目的と政策について正しく伝えなくてもよいことになる。

合衆国大統領は、詭弁化の法律家に密かに法案をまとめさせ、大統領の権限と任命権を行使して、憲法上、連邦議会が本来、大統領に委任することができない権力を曖昧な表現で彼自身に付与する法律を成立させてもよいことになる。

合衆国大統領は、そのような法律を成立させた後、事前に宣言した通りに反戦政策をとると公言しながら、公式発表に完全に矛盾して、宣戦布告なき「武力行使」を始める計画を立ててもよいことになる。

合衆国大統領は、外国政府の首相と秘密会談を行い、他の政府に対して共同で圧力をかけることや、アメリカの軍隊を投入して第三国の領土を占領することを、実際に合衆国として約束をしておきながら、公式発表では新たな約束は交わされていない、と宣言してもよいことになる。

合衆国大統領は、過去に上院の承認を受けるために連邦議会に提出されたいかなる条約の同盟よりも、合衆国の命運にとってはるかに重大な影響をもたらすことになる秘密合意を外国政府と結んでよいことになる。

合衆国大統領は、特定の外国政府を合衆国の敵であると勝手に決めつけて、そうした国に対して、これまでのところ、合衆国で受け入れられ強制されてきた国際法の原則と国内法に違反して、随意に戦闘行為を起こす権力を求めることができ、連邦議会も従順にこれを大統領に付与できるということになる。

合衆国大統領は、戦争行為が現実には大統領の秘密の指示のもとで密かに引き起こされたものであり、しかも、合衆国の軍隊によって始められたものであるにもかかわらず、戦争は合衆国に対して仕掛けられたものだ、と連邦議会や国民に公言してよいことになる。

合衆国大統領は、連邦議会が国防に関する規定を定めたということだけを根拠に、いかなる陸・海軍の軍事戦略でも密かに決定し、大統領が選んだ目的を達成するために適切だとみなしたいかなる戦争行為をも軍に命じることができる。

合衆国大統領は、彼の部下に放送局の役割を与えるとともに、民間のプロパガンダ機関と秘密の関係を結んで、大統領が法律上は認められていない思い切った行動にでることを国民が要求するよう駆り立てて、そのうえで、そうした行動に出ることができることになる。この場合、大統領は非公式な国民投票による承認を、憲法と憲法のもとで施行された法律にもとづく承認に代用したことになる。

合衆国大統領は、ある外交政策を公式に発表しておきながら、それと正反対の政策を秘密裏に遂行し、特定の外国政府が米国に対して先に発砲するよう仕向けるための外交や軍事行動を推進し、そうすることで連邦議会にその憲法上の権限に基づいて宣戦布告を決議するよう事前に求める必要を回避することができるようになる。

合衆国大統領は、権力を不当に自分自身のものとした極めつけの行為として、上院の同意なしに合衆国に「世界の警察官」としての義務を、少なくても一定の期間、負わせるような約束を外国政府の首脳に対してしてもよいことになる。これは取り締まられる側の政府や人々から見れば、世界を支配することだ。一方で、アメリカ国民は道議上、この骨の折れる、成功の保証もない課題に対処するために必要な陸・海軍の軍事力と経済力を供与しなければならなくなる。

「ルーズベルトの責任」,pp.762-764

前例が与える免罪符

こうした前例が弾劾されず、アメリカ外交の継続的な行動にとっての免罪符となるならば、憲法はこれを擁護すると宣誓し、これを守る道徳的義務を負う大統領、政府高官、軍高官によってないがしろにされてしまうかもしれないのだ。

「ルーズベルトの責任」p.765

大統領、政府高官、軍高官がソ連などのスパイから影響力工作をされていた

ビーアドはアメリカ憲法、道義的、倫理的な責任と義務という側面からの評価をし、結論に至ったのだと思います。

しかし、ルーズベルト大統領とその側近の高官達や軍にはソ連のスパイが多数入り込んでおり、ルーズベルト政権はソ連のスパイの影響力工作を受けていたことが機密文書から明らかになってきています。さらには、ソ連のスパイだけでなく巨大権力を持つ国際的グループからも、ルーズベルト大統領は戦争をするように強いられていた、という意見もあります。

そうだとすると、アメリカ憲法への宣誓、選挙公約や民主党綱領に対する道義的、倫理的な責任感や義務感などが、スパイの影響下にある人々にあるはずもありません。

戦争を始めさせたいと強烈に願う組織に目を付けられたら、開戦を止めることはほぼ無理かも

もしも、ルーズベルト大統領と政府高官、軍高官たちがソ連のスパイの影響力工作を受けておらず、真摯にアメリカ合衆国とアメリカ国民のためを思って政治・外交を行っていたら、日米開戦は無かったかもしれません。歴史に「もしも」は無いことは分かっていますが、そう考えてしまいます。

厳しい経済制裁や最後通牒(ハル・ノート)で日本をギリギリまで追い詰めることは無かったように思います。

アメリカ国家の為に働く「アメリカ人」と、日本国家の為に働く「日本人」が外交を行っていたなら、日米外交は開戦に至らず、どこかに着地点を見つけられたのではないでしょうか。

国のトップや中枢にいる高官達が他国の影響力工作を受けていることは、本当に恐ろしいことです。日本はそうであってほしくない、と願いますが大丈夫なのでしょうか。