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小田原駅から徒歩5分。みのさんが私財を投じたミニシアターがオープン!

小田原シネマ館

小田原駅前に21年ぶりの映画館

3月20日、小田原駅から徒歩5分の場所に映画館がオープンしました。
1スクリーン、40席のミニシアターです。

その名は小田原シネマ館。

小田原で育った「みのさん」こと蓑宮武夫さんは、「自分が暮らす街から映画館が消える寂しさは、何ともいえないほど切ないものだった。」と言い、「小田原の街中に映画館を」という夢に挑み、とうとう私財を投じて映画館を建ててしまいました。

しかし映画館オープンを見ることなく、昨年10月、メキシコ出張中に体調を崩し急逝されました。

みのさん

みのさんは元ソニー執行役員上席常務でした。
ソニー時代に数々の部門において大きな業績を残してきたことは言うまでもありません。ソニー時代に分刻みで働いている蓑宮さんを拝見しています。

でも、筆者の記憶にある「みのさん」はソニー退職後の「みのさん」です。地元小田原のため、起業する人達のため、ここでは書き切れないほど精力的に活動されていました。とても生き生き輝いて楽しそうに。

「いまこそ人生で大切なことは映画から学ぼう」

みのさんの遺作となった本です。

みのさんはこの本の中で、私財を投じて小田原まちなか映画館を作った思いを述べていました。みのさんの思いをちゃんとお伝えするために、少し長いですがその部分を以下に引用します。

 「ミニシアター」の役割が重要であることは誰もが知っています。そして、映画館をつくりたいという夢をもっている人もたくさんいる。にもかかわらず、どうして「ミニシアター」は減少し続けているのか。その理由はいたって簡単です。要するに経営が成り立たないからです。

 「ミニシアター」とは「まちなか映画館」でもあります。「まちなか」、すなわち日常生活のなかに溶け込んでいなくては意味がないのです。ということは「ミニシアター」は駅近くの商店街などにつくらなくてはなりません。駅近くの商店街というのは、それが地方であっても土地の値段は安くありません。賃貸にしても、毎月相当な賃貸料がかかってしまいます。そのうえで映画の配給会社に支払う代金がありますから、採算を取るのは難しいのが一般的です。映画全盛期のように、休日は立ち見客も出るような賑わいを取り戻せばやっていけるでしょうが、そういう時代でもありません。映画館の経営そのものがター二ングポイントを迎えているのです。

 そこで私は腹をくくりました。地元の文化の灯を絶やしたくない。その一心で行動を起こしました。その行動とは、映画館の土地と建物を私が私財を投じて確保することでした。私の持ち物ですから、映画館の家賃は低く抑えることができます。さらに建物のなかには映画館だけでなく、食事やお酒が楽しめるようなテナントも招聘しようと考えました。映画館をつくるなら、これまでになかったような新しいものをつくりたいと思ったからです。

 単に映画の上映をするだけでなく、お酒や食事も楽しめるような映画館にしたい。映画を見るだけが目的ではなく、文化の香りに触れられるような場所にしたい。

 さらには新人監督や新人脚本家たちの作品を積極的に上映し、未来の映画界を担う若手を育てる場にもしていきたいと考えているのです。

「いまこそ人生で大切なことは映画から学ぼう」簔宮武夫、PHP、pp.37-38

気持ちのいいミニシアター

先日、「コンサート・フォー・ジョージ」を観てきました。

2002年11月に、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催されたジョージ・ハリスンのトリビュート・コンサートの映画です。

高音質・高画質リマスターの”劇場独占スペシャル版"なので音質が良いのは当たり前かもしれませんが、それだけでなくシアターの音響がとても良いと感じました。
音量は大きいのに本当にクリアで、まるで包み込まれるような、ちょっとくすぐったいような気持ちいい音でした。

それに椅子が良いのです。
腰から背中が包み込まれ、長時間座っていても全く疲れません。

「良い映画館を作る」という「小田原シネマ館」関係者の皆様の熱意と決意が感じられました。

二階にあるイタリアンレストラン

シアターの二階には「LEGALO」というイタリアンレストランがあります。
映画の前にピザと赤ワインをいただきました。美味しかったです。
でも、映画の前にワイン2杯はちょっと飲み過ぎました。(反省)

映画館オープンの記事

ネット検索したら、「NHK横浜放送局 かながわ情報羅針盤」にオープン時のことを書いた良い記事がありました。
遺影の「みのさん」が最前列の席で見ている写真もありました。



ひとりで半導体エンジニア教育サービス事業の会社を起業した25年前から、みのさんにはお世話になりました。

筆者は、何も後ろ盾がなく、たったひとりで始めたので、所謂「何処の馬の骨か分からない」怪しいヤツでした。
「大丈夫か?」と気にかけて心配してくれた人もたくさんいましたが、「関係しないでおこう」と明らかに分かる態度で警戒・敬遠する人もまたある程度いました。

そんな馬の骨に仕事をくれたみのさん。
感謝してもしきれません。
ありがとうございました。