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自然にまかせて、生きることにしたのです。

この先どう生きようか悩んだ時に、人生の大先輩から薦められて読みました。

留魂録は、吉田松陰先生が小伝馬町の牢屋で松下村塾の門弟達に残した遺言書と言われています。「新訳 留魂録」は、留魂録の本文とその訳および解説、それに家族や友人達への手紙などで構成されています。

「この先どう生きようか」悩んだと書きましたが、哲学っぽい本など読んでも少しも頭に入ってきませんでしたし、自分の頭で考えても眠くなるだけでした。将棋に「下手の考え休むに似たり」という言葉がありますが、「バカの考え休むに似たり」状態でした。
そんな時にこの本を読んで、ストンと腹に落ちました。

自然にまかせて、生きることにしたのです。
もう、私は死を求めません。また、死から逃げません。獄舎のなかに入れられたままなら、入ったままできることをします。獄舎から出されたら、出てできることをします。
時代がどうとか、・・・状況がどうとか・・・もう何も考えません。できることをして、行きづまったら、また獄舎に入ってもいいでしょう。処刑場に行ってもいいでしょう。どこにでも、「行け」と言われたところへ行くだけのことです。

「新訳 留魂録」安政6年4月、入江杉蔵あての手紙の一部より

この時の読書ノートの最後には次のようなメモを書いていました。

嫌ではない、受け入れる、怖がらない

今の自分の環境や問題を素直に受け入れて、怖がらず怯えず、出来る事をやっていくという意味です。

吉田松陰先生と同じような死生観を、浅田次郎さんの「一路」という小説と、樹木希林さんの「一切なりゆき」という名言集でも見ました。

「こうして死するゆえ無理であったと申すか。そうではあるまい。無理かどうかは生くるか死するかではのうて、お努めを果たせるか否かであろうよ。死んでお努めを果たしたのであれば、無理ではなかったのじゃ。」
わしはおのれを使い果たした。残念は何ひとつない。」
「おまえも、おのれを使い果たせ。」

「一路」浅田次郎、中央公論新社、2013.2

十分生きて自分を使い切ったと思えることが、人間冥利に尽きる

「一切なりゆき」樹木希林、文春新書、2018.12

ちなみに、浅田次郎さんはあの台詞を人間ではなく馬に言わせています。
樹木希林さんの本は読んでいません。書店で本の広告を見て「へえー、同じだ」と記憶に残りました。

留魂録ではこうも言っています。


人生は長さではない。何か腹のいえる様なことを遣って死なねば成仏できぬぞ。」
「ふたつとない命。惜しんだうえにも惜しんで、残った人生、・・・最高で最上の生き方をしようではありませんか。」

「新訳 留魂録」より

吉田松陰先生が処刑された時の年齢は数え30歳、満29歳の若さでした。本当に長さではないと思います。