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第1章 アメリカ経済社会構造の崩壊

1971年8月にアメリカ司法省に勤務していたルイス・パウエル(後に米最高裁判所判事となる)が「パウエル・メモ」:「出撃せよ」を全米商工会議所に宛てて出した。これが1981年以降、アメリカ経済を衰退への道に追い込んだ分岐点であった。

アメリカン・ドリーム

1917年からアメリカは「大量生産技術」を開発し、アメリカ国民の欲しがる商品を大量生産し、コストを下げて国民が買いやすものにした。FordのModel Tを始めとして、農耕用のトラクター、自転車、冷蔵庫、金銭登録機、原動機、モーター、コルト銃などを大量生産し、労働者の賃金が上がり、商品がどんどん売れるという経済の循環が活発になり、アメリカ経済は大発展した。第二次大戦後もイノベーションで、航空機産業、繊維産業、石油化学産業、コンピュータ産業、半導体産業、工作機械産業などが生まれ、アメリカの世界覇権の座が確立され、アメリカは福祉社会になり、世界の人々が憧れる「アメリカン・ドリーム」を築いた。この時代は「高度大衆消費社会」とも呼ばれ、「貧富の差」が一番小さかった。

パウエル・メモとアメリカ産業の衰退

こうしたアメリカ経済社会の繁栄の中で、1971年「パウエル・メモ」という「檄」が飛んだ。ニクソン政権がアメリカの企業側と富裕層に対して厳しい規制と税制を打ち出した直後の1971年に「パウエル・メモ」が書かれた。だがルイス・パウエルは、彼が刃向ったニクソン大統領により連邦最高裁判所判事に任命されたという皮肉がある。

パウエル・メモには「中央政界の反企業感情がかつてない危険なレベルに達しているため、アメリカの自由主義企業制度が決定的に衰弱あるいは崩壊しかねない」と警告を発した。「企業側は政府の規制、消費者運動、政治的影響力の強い労働組合の犠牲になっている。これは企業側の政治的影響力があまりのも弱くなったためだ」と訴えた。
「アメリカの企業幹部は中道政策という主流に屈し、融和的で、的外れな、問題を無視する戦略をとっている」と企業幹部を非難し、「いまこそ企業国家アメリカはより攻撃的な姿勢で臨み、対決政治によって政府の政策を変えねばならない」と訴えた。つまりアメリカの福祉国家を破壊し、ワシントンのアメリカ政治の構造を変えなければならないとした。パウエル・メモは「ビジネス・マニュフェスト」であり、パウエルは、いわば陸軍に戦闘準備をさせた司令官であった。そしてこのパウエルの戦略は見事に成功したのである。

1981年ロナルド・レーガン大統領がパウエルの戦略を実行した。具体的にはミルトン・フリードマンの「新自由主義」の旗を掲げた「グローバル化運動」であった。アメリカ産業は、イノベーション活動を止め、コストダウンだけを追求し、海外に進出し、世界で最も安い商品を作り、その低価格商品で世界の市場を席捲したのである。これは資本家だけが儲かり、アメリカ国が衰退する道であった。レーガンはソ連のフルシチョフとグローバル化による「軍拡競争」を推し進めて、ソ連経済を疲弊させ、崩壊させた。
飛ぶ鳥を落とす勢いの全米自動車労連の委員長ウォルター・ルーサーは飛行機事故で死亡し、消費者運動の旗頭であったラルフ・ネーダーは徹底的に弾圧された。福祉社会を築こうとしてきたリチャード・ニクソン大統領は「ウォーターゲート」という罠にはまり、辞任させられた。

Deep Stateとウォール街の金融資本家は繁栄した産業界から金を巻き上げ、国民大衆からいろいろの形で金を吸い上げた。この結果、産業は仕方なく海外に出て稼ごうとし、国民大衆の多くにはまともな職場がなくなり、フードスタンプ(SNAP、生活保護)で生きていかざるをえなくなった。今アメリカの都市にはホームレスがあふれている。

1980年からそれまで世界をリードしたアメリカ産業は衰退し、2000年にはアメリカは世界覇権の座から降ろされてしまった。そのためにアメリカ社会の貧富の差が激しくなり、「アメリカン・ドリーム」も完全に消えてしまった。

アメリカDeep Stateは、アメリカ本土を収奪したので、世界のあちこちでクーデターや戦争を仕掛けて、武器を売って儲け、他国の資源・富を収奪してきている。

2024年5月24日  三輪晴治