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ご飯茶碗が欠けてしょげてます。

ただ気付いたらご飯茶碗が欠けていた、というだけなのだが、地味にショック。100均とかの量販店ではなく、焼き物屋さんで買ったやつ。使いだしてからまだ1年も経っていないのにな。結構気に入っていたのに。多少欠けようが別にそのまま使えるからいいのだけど。

本当は新生活が少しずつ始まって、教科書を揃えたり、履修登録をしたり、新しい友達を作ったりと、少し疲れているのかもしれない。これから始まる授業やサークル活動も不安だし。

ご飯茶碗が欠けてよかったこともある。それはご飯茶碗が欠けて悲しんでいる人に、その気持ちを分かってあげられることだ。私は想像力が乏しいので、たかがご飯茶碗くらいで…、といったようなことを言いかねない。今自分が経験したことで、寄り添ってあげられる。


お茶碗欠けた、で思い出したのだが、小さいころ、童謡の『ずいずいずっころばし』の最後の歌詞、「お茶碗かいたの誰」部分の意味が分からなかった。「欠いた」ではなく「描いた」かと思い、お茶碗に絵を描いたのかと思っていた。上絵付みたいな。だからどういうことなのかよく分からなかった。

何を書いているのか自分でもよく分からない。
読んで下さりありがとうございました。


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