雅八歌(みやびやか)

世界の「ウラ」が「オモテ」に変わる。 言葉の「シンカ」が「イマ」必要では 各noteは…

雅八歌(みやびやか)

世界の「ウラ」が「オモテ」に変わる。 言葉の「シンカ」が「イマ」必要では 各noteは現時点での内容なので概念の変化に応じて、後日アップデートされたりもします。 この言葉たちがお役に立てれば幸いです。

最近の記事

タイム イズ、、、

「無い」 「あれが無い」 「これが無い」 無という状態。 無という現在。 ごくあたりまえに言ってもしまうし。 この状態のおかげで、一瞬にして間の前が真っ暗にもなったりする。 逆に、目の前が明るくなったり、安堵したり、ほっとしたり。 人生の中で外せない状態でもある、「無」 しかし、無とは人類の営みの中でもずっと問われていた要素でもある。 無か有か。 宗教然り、科学然り、宇宙然り、 無か有か そこで、ここで無についての概念を二つ。 絶対無と相対無 そ

    • 口を開けば

      「ふー」 一息。 口は一つ。 息は広がる。 呼吸。 例えば、食べ物であれば断食・ファスティングというものがある。 食べ物なしでどれだけ生きられるか。 次に水。 水なしでどれだけ生きられるか。 次に息。 息なしでどれだけ生きられるか。 やってみてわかる。 呼吸の優先順位の高さ。 口は災いのもとと言われるが、息はいのちのもとでもある。 現代の息への優先順位、低くない? そして、その息に乗るもの、息を震わせるもの。 声、 言葉、 一つの口から 空間へ広がる

      • 博士より白紙を欲す

        さて エビデンスを重要視する時代であるように見える。 こんきょ。 根となるものが欲しい時代。 科学による、確かさ的なもの。 意見によれば、その人に分裂する。 「〇〇にとってそう思う」 相対化する。 相対化する宿命かのようである。 なので、意見を持たぬものは 「権威を求める」 根を求める だれかに同調する。 何かに同調する。 しかし、それも分裂した何か。 そして、科学に目を向ける。 相対に化ける人間を信用できなくなったのだ。 別に言えば、自由を

        • Touch you later.

          ものをなぞる。 触れる。 触れる前に熱を感じた。 その前に空気も感じた。 触れた指をすべらせる。 沿っていく。 投げかける。 視線。 ボクの目はそこに触れている。 視線を沿わせる。 歩く。 歩み。 歩みは大地に触れる。 大地を沿っていく。 触れる皮膚。 存在の皮膚。 思わず伸びる手。 思わず投げかける目。 存在の表面に触れる。 皮膚と皮膚の間を風が沿っていく。 人間は何に沿っていくだろう。 神に沿うなら 一に沿い 多に沿うか。

          共振で協心

          純粋経験にたちかえる。 現存在はそのまま<状態>へとなる。 自己をそのまま<状態>とするならば、共振をするのは当たり前のように思う。 そして、その<状態>をみるものがいるとすれば それは、他者としての<状態>ではないか そうすれば、重ね合わせによる<状態>の共同創像である そこから、自己と他者の共振を協心として、競争を共奏として 「いのち」 「いの道」 を掻き分けてゆけばいい。 みずからが<時間>の発信源だと気づくとき 機械たちがもたらす<タイムライン>

          わかるは、わける

          「ねぇ、宿題しなさい!」 「んなことわかってるよ!!」 「それ、食べてるから太るんだよ。」 「わかってるよ!」 さて、 どうやって物事を知っていくか? どれだけ物事を理解していくか? これは生きる上で必須な事態とも言えるほどに わかる が重要度を占めている。 そして、それは人類の歩みとも言える。 わかる。を増やし続けてきたボクたち。 「調子はいかがですか?」 なんと答えよう? わかればどうなるのだろう わからなかったらどうなるのだろう わかると、心

          ウラザン・裏算で世界を見てみよう

          今の時代、世界のあらゆる裏側がオモテに出てきている。 そんな時代になった。 裏は見えない世界だった。 隠された世界だった。 しかし時代はどんどんと裏をオモテにすることをやめないようだ。 そんな今日に向けて、裏とオモテの2つがある世界を見ることができるコトを起こしていこう。

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          2枚の鏡の狭間で〜「今」というprologueを開く栞はどこに〜 第二話

          こちら不定期連載シリーズです。 1日の隙間にでもどうぞお楽しみください。 優しさだけでなく 厳しさからも 感じ、受け取る 愛と呼ぶものとはいったいなんなのだろう 第一話では、ふんわりとぼくたちが今生きる現代までの日常の展開がスマホを起点として、簡単に説明されていきました。 そして、一話の最後で、ややも意味ありげに言い残された 「半ば無条件に設定された、スマホやその中身が最新で充実していけば、自分の人生も新しく広がりのあり豊かなものなるという朧げな未来を目指しながら…」

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          2枚の鏡の狭間で〜「今」というprologueを開く栞はどこに〜 第一話

          こちら不定期連載シリーズです。 1日の隙間にでもどうぞお楽しみください。 21世紀 2022年現代の世界において、少し歴史を顧みるだけでも西洋から生み出され世界に輸出されてきた概念、思考法、技術のノウハウたちが、近代世界をつくり発展させてきたと言っても過言ではありません。 そして、日々の人間の仕事であれ、休日の午後の昼下がりであれ、一人一人が、その西洋から輸出され日本に輸入されてきた概念、思考法、技術を当たり前のように使い、それぞれ個人、家族、地域、会社、都道府県、国が独

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          陰陽を超えて ver.1

          これまでの時代は陰陽の世界観でものごとを行ってきたと思う 陰陽の世界間とは、二項対立を前提とした世界である 二項対立を少し上げてみると、 大きい、小さい  高い、低い など他に挙げればキリがないけど、要は相反するものとして存在する二つのものたち これは、意識するしないを問わず、陰陽の世界では必ずこの二項対立が前提条件でセットされている。 この「前提条件でセットされている」というのは いわゆる、ネット上のホームページで言えば、スマホ画面等にカクカクシカジカで表示されると

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          みんな気づいてる

          おはよう日本 子どもたちは気づいている。呆れている。 大人たちはなんでこんなに争いあうのか。 それは争っているどっちかが合ってるとか正しいとかではない。 争う必要がないことに、無意味なことに気づいている。 そしてその影響を受ける。 理解に難しい言葉や仕組みを並べられたり、それを盾にされてもそんなもの関係ない。 そもそも争い自体が必要ないことを知っている。 そして難しい言葉や仕組みに当てはめられるように大人になっていく。 当てはめられた人生はどんどん狭くなって