山口周さん「ニュータイプの時代」読了

1年近く前の出版になりますが、ようやく山口周さんの「ニュータイプの時代」を読了しました。印象深い本でしたので、読書メモをおこしておきます。実際の書籍の目次とは対応していない見出しとなっていますが、私の読後の印象で勝手にグループ化したものです。ご容赦ください。

最初に、現代社会の構造を示す「6つのメガトレンド」が説明されますが、6つのうち著書全体を通して根底に流れるキーワードは「社会のVUCA化」だなと感じました。これだけ覚えておいても損はないと感じます。日々の自分の判断に対し「それはVUCA化する社会において意味のある判断か?」と問いかけてみたいと思います。

(1) 社会のVUCA化

VUCAとは Volatile (不安定)、Uncertain (不確実)、Complex (複雑)、Ambiguous (曖昧) の略で、アメリカ陸軍が現在の世界情勢を説明するために用いだした用語。VUCA化によって「豊富な経験」「中長期的な予測に基づくしっかりとした計画」「周辺環境への最適化」という、これまでどう考えても「良い」と見なされてきたことが全部無価値となり、「柔軟性の度合い」の価値が増す。人材の「優秀さ」は文脈依存的な概念であり、VUCA化によって、これまで「優秀」と見なされてきた人材が無価値となる恐れあり。

(2) 問題の稀少化とイノベーション

日本は「問題」に恵まれた国家である。7世紀の遣隋使から20世紀に至るまで、日本の主たる「問題」は「海外先進国に追いつけ」であった。「問題」が明確なので「与えられた問題を解決する」人材が育成され、重宝され、優秀とされてきた。ところが現代は、生活上の主たる問題はほぼ解決され稀少化、そのため「問題解決力」が供給過剰となり、むしろこれまで発見されなかった新たな問題を発見し提起する「問題発見力」が重要となる。

日本は「問題」を外から与え続けられてきたので、あるべき姿を構想して問題を提起する構想力に弱い。イノベーションは「解決したい問題」を構想して取り組んだ結果、そのアプローチが画期的だった場合に「イノベーション」と呼ばれるのであって、「イノベーションを起こせ」といって起きるものではない。イノベーションの停滞は「問題の稀少化」によって発生している。

(3) 仕事に「意味」を与える

「不満・不安・不便」を解消するための労働は1日3時間程度で済む。あとは実質的な価値を生み出さない「虚無的労働 (著者いわく「クソ仕事」)」となっている。仕事の意味・やりがいは稀少化しており、意味を与えて人を動機づける能力が極めて重要になっている。

格安航空会社のピーチは、自社の存在意義を「戦争をなくすため」と定義している。若いうちから多くの人が外国に出かけて、異なる文化に触れる機会を持ち、相互理解を深める土壌を作れば争いは無くなるはずで、そのために誰でも安価に乗れる航空会社をつくる。「コストを下げる、路線を増やす」という「量的目標」に対し、ちゃんとした「意味」が与えられている。

部下がだらしないと感じるのは、経営者や管理職が「部下を動機づける「意味」を与えられていない」のであり、経営者や管理職の不甲斐なさが問題である。

(4) 「意味」はコピーできない

フェラーリやランボルギーニは、2名しか乗れず荷物も載せられず燃費も悪く、移動手段として「役に立たない」にも関わらず、高額で売れる。これは「役に立つ=機能」を買っているのではなく、ブランド価値や所有する喜びといった「意味」を買っているからである。「意味」はデザインやテクノロジーと違い、他社にコピーされないからこそ強い。

「役に立つ」だけで意味のない市場では、競争が熾烈化し、最終的にはグローバル勝ち組企業だけが生き残る「勝者総取り」の市場となる。「意味」が重視される市場は、コピーできないため、グローバルニッチプレイヤーによる多様化が進む。この二極化が進む。

例外としては、体積あたりの付加価値が小さく、輸送コストが相対的に高くつくようなケースではローカル企業が存続しやすい。例えばガラスや建築資材など。逆にICチップや情報材は体積あたりの付加価値が非常に高く輸送コストが低い (情報に至っては体積も輸送コストもゼロ) ので、グローバル企業による寡占が起きやすい。GAFAはこの典型。

(5) 明文化されたルールの危険性

世の中のシステムの変化が早すぎて、明文化されたルールの整備が追いつかないような状況においては、ルールはいつ後出しジャンケン的に変更されるか分からない。ルールにるよりも、自分の内側に持っている「価値観」「美意識」に基づいて判断したほうが、よほど基準として間違いがない。

(6) リベラル・アーツと経営

リベラル・アーツとは「自由になるための技術」という意味。リベラル・アーツの真髄は、目の前の常識を「問う・疑う」ことだが、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持たないと、常識を疑うコストがかかりすぎる。世界を相対化し、普遍性が低いところ (おかしいところ) を浮かび上がらせる。そのためには、政治学・哲学・演劇・歴史といった、人文学的要素を鍛える科目をもっと学ぶ必要がある。

リベラル・アーツを学んでいない経営者は、五感をフルに働かせて未来を構想する仕事を放棄し、断片的なデータを見た問題の解決と意思決定にかかりきりになる。ここにMBA卒業生のような問題解決力の高い部下が入るとその相思相愛で傾向が強化されてしまう。その結果、社会や顧客や従業員との接点が失われて孤立し、「構想なき生産性の向上」を組織に求め、従業員のモラルやモチベーションを破壊する結果となる。

(7) 他者とは気づきの契機である

他者とは「わからない者、理解できない者」であり、これを学びの契機とすることで、今までとは異なる世界の見方を獲得できる可能性がある。人類の悲劇の多くは「自分は正しく、それを理解できない他者は間違っている」から引き起こされている。

他者を学びの契機とするためには、深く傾聴し共感する必要がある。「要するに〇〇でしょ」が最悪で、パターン認識し自分の過去データと照合しているだけのもっとも浅い聞き方である。すぐに「分かった」と言うと「飲み込みが早い」と評価される時代は終わった。「まとめたい欲」をぐっと押さえて、パターン化せずあるがまま傾聴することで、新しい発見の契機とすることができる。

インターネットの登場により世界が小さくなったと言われるが、むしろ行動様式を閉鎖的にしている。似たような政治的態度や経済的水準にある人達のコミュニティに閉じこもり、お互いに「いいね!」を乱発し続けることで、その外側にある「他者」を「存在しないこと」にしてしまい、「孤立化・分散化」を強めている。オールドな行動様式と新しいテクノロジーが、民主主義の危機を招いている。

(8) 二重性を破綻なく持つ

社会システムにある程度適応して、システム内での発言力・影響力を蓄えながら、システムに対する批判的な視点を継続的に持ち、改変に向けた運動を起こせる人材 (二重性を破綻なく持つ人材) こそが、今後の社会変革を担う人材である。

「勝ち組」という言葉に代表されるように、現状の社会システムに無批判に最適化することで成功した人々を模倣し続けるような傾向は、現状の社会システムをますます強固で動かしがたいものにしてしまう。いずれにせよ、システムはどんどん変化するので、現状に過度に最適化した成功はすぐに不適合を起こす。

なお、社会システムを「別のものにリプレースする」という考え方は、システムが主語になっている時点で、資本主義→共産主義への転換・失敗と何も変わらない。今後求めらるのは「人間」を主語にして、システムと人間との関係性のあり方を問う考え方である。

スコット・フィッツジェラルドは一流の作家の条件として「相反する2つの思想を自分の内側に持ったまま、精神的に破綻せずにへっちゃらでいられること」と述べた。端的に言うと、矛盾だらけの「いい加減な人」ということになるが、システムのカタストロフィを避け、文化を形成するためにはこれが必要とされる。