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🇨🇦カナダ🇨🇦

退職を機に、英語が話せる訳でもないのに1ヶ月間カナダに行く事にした。
「時間」「お金」「健康」が揃うタイミングって人生であとどのくらいあるのだろう。

外向的だった私は3年間ほとんど遠出もせず引きこもりの生活をしていた。病院で働いていたからだ。新型コロナウィルスが流行し、患者は増え、医療者は不足していった。通常の入院患者よりもコロナ患者は看護師を必要とする。月日が経つに連れて医療者の疲弊は強くなり、辞める者も多かった。そうなると残された者たちはさらに疲弊する、といった悪循環。

私はその中でも職場環境や周りの人々に恵まれていたと思う。不安なことはありながらもその感情を共有しながらもポジティブな面を見て働いてこれていた、と思っていた。

しかし自身や同居人の体調管理には当然シビアな状況は続く。SNSには旅行に行き始める人や飲み会が再開されるなどの情報が飛び交い始めていたが、私のいる場所はその規制が厳しい。言われていたから、だけでなく自主的に規制していた部分も大きい。

入院患者を見ていると、新型コロナだけではなく心臓、脳、肺疾患などさまざまな理由で入院してくる人たちがいる。突然の交通事故や遺伝的なものが原因であればまだしも、いわゆる「生活習慣病」の延長で治療が長引く人もいる。本人は自分のしてきたことの積み重ね。家族はどうだろう。心配な眼差しでベッドサイドに立つ。

私は思った。

「こんな大変な治療になる前にもっと予防できなかったのだろうか」

と。

病気というのは本人だけが大変じゃない。その家族は本人が思う以上に大変なのだ。振り回される。仕事や金銭面、精神面にも大きな影響がある。
ここまで考えて不摂生をしてほしい。

しかし本人を責めることもできない。彼らは予防の意味や方法についての「知識」を知らないのだ。

「もっと予防医療を進めていきたい。」

そう思って私は予防医療の活動をしていこうと救急病院を出た。

そしてせっかく看護師資格を持っているのだから、その資格を使ってボランティアをしたい。世界がどのような考え方で医療を提供しているのか知りたい。その思いから海外ボランティアを探した。

「コロナウィルスが流行して依頼、まだ医療関係のボランティアは再開していない。」
これが現状であった。きっと世界各国、コロナによって状況は変わっているのだろう。

ボランティアはまたの機会とし、海外文化を学びにいこうとカナダのトロントを選択した。ホームステイで午前中は英語の学校に通い、コミュニティの場も確保。

4月のカナダはまだ雪が残り、空気は乾燥していた。

「ゴホンッ!ゴホンッ!」

12時間のフライト後の環境の変化に風邪を引いてしまい、薬を飲みながらも登校。なるべく他の人と距離をとって静かにしていたところ、

「風邪?大丈夫?カナダって空気乾燥するよね。」

と、ブラジル人の女性が話しかけてくれた。マスクも付けずに。

衝撃だった。
日本はまだまだコロナの流行に敏感で、マスクを付けていないだけで冷たい視線を浴びることもある。そして体調を崩して咳をしている人に対して心配の言葉の前に「マスクして」とひどい言葉をかけていた。
この3年間で自分でも気づかない間に驚くほど冷たい人間になっていたのだ。

凍った心が溶けていくのが分かった。人間に戻った感覚だった。

知らず知らずのうちに人としての優しさ、温かさを忘れていたのだ。

カナダはまさに多様性の国。色んな人種が集まってできた国で、白人、黒人、アジア人が当たり前に助け合っている。肌の色は関係ないのだ。そしてその助け合い精神の強い自国に非常に強い愛情と誇りを持っている。

私は日本でそのような感覚になったことがなかった。
非常に学ぶことが多く、私の心を豊かにしてくれた。

「優しさ」「温かさ」「包容力」

これを教えてくれたカナダでの経験は素晴らしいものだった。
まずは自分から。その学びを発信していける人になりたいと思う。

世の中疑い出したらキリがない。きっとその防衛力も大切。しかし不要な構えはやめて、もっと愛ある人になりたいと思えた経験だった。

凝り固まった考えを柔軟に。たまに忘れてしまうけど、時々思い出しながらもっともっと豊かな人になりたいと思う。

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