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セクシー田中さんと座頭市と007

 今さらながら、ドラマ「セクシー田中さん」問題に思うこと。それは原作と原案のちがい。
 結論からいうと、テレビ局や脚本家が、原作を高い自由度で扱いたければ、「原作」ではなく「原案」にすべきだ。(それを原作者が許可してくれるかどうかは別だが) あのドラマでは「原作」と銘打ちながら「原案」のように扱ったのが、悲劇の始まりだった。
 ちなみに、映画・ドラマ・舞台の「座頭市」(のべ、ざっと100作)の原作は、小説家・子母澤寛の短編が1つあるだけだ。それでも新作?が続々と作られた。しかし、私の知る限り、「原案」ではなく「原作」となっている。
 これは、子母澤寛(および座頭市シリーズ第1作)の時代が、今のように著作権とか著作人格権とかうるさくなかったせいかもしれない。
 ちょっと似たようなケースは映画「007」シリーズ。原作者イアン・フレミングの死によって原作(の供給)は1965年に終了しているが、原作を使い果たした後も、映画は作られ続けている。

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