「無茶ぶり」されるのは嫌だけど~日本講演新聞

日本講演新聞は全国の講演会を取材した中から、為になることや心温まるお話を講師の許可をいただいて活字にし、毎週月曜日、月4回のペースで発行する全国紙です。

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 空港の書店で『落語力』という本が目に留まった。落語は大好きなので、迷うことなくそれを手に取り、急いで搭乗保安検査場に入った。

 この本がすごかった。著者はあの落語界の天才異端児、立川談志師匠の弟子である。しかも慶應義塾大学卒ときた。さらに大手女性下着メーカー・ワコールを退社して入門した、とんでもない男だ。

 その立川談慶さんの修行時代の話に唸った。

 ある日、師匠から「今飲んでるから机の上の原稿を持ってきてくれ」という留守電が入っていた。

 談慶さんは、その日最後に師匠と一緒にいた弟弟子に、師匠の行き先を聞いたが知らなかった。ただ懇意にしている歯科医と一緒らしいということが分かった。

 すぐその歯科医院に電話を掛けて、先生の行きつけの店を数軒教えてもらった。その中から師匠が好きそうな雰囲気の店を絞って電話を掛けまくった。そしてついに師匠が今飲んでいる店を見つけ出し、何事もなかったかのような顔をしてお店に入っていった。

 「よくここが分かったなぁ」と驚いたのは一緒にいた歯科医で、師匠は「俺のところにいればどんな奴でも使えるようになるんだ」と、自慢げに歯科医に語った。

 こんなことは日常茶飯事だった。「一貫の氷、買ってこい」とか「1週間くらい前の新聞記事に出ていたが、俺もあやふやだ。調べてくれ」とか、こんな無茶苦茶な要求に弟子はきちんと対応しなければならない。数年前、大雪の日にタバコを買いに行かされてまだ戻ってこない弟子もいる。

 徒弟(とてい)制度の世界では、こんな修行話をよく耳にする。しかし、「この修行を『無茶ぶり』と置き換えてみると、誰にでも当てはまるんです」と談慶さんは言う。

 つまり、「人間は『無茶ぶり』でしか成長しないし、そもそも人間だけが『無茶ぶり』に対応できるようにできている」というのである。

 たとえば、筋トレは無茶なトレーニングで筋繊維を傷付ける行為だ。その傷が回復していく過程で以前より強く、頑丈な筋肉が作られていく。

 また、鍼(はり)治療も身体に鍼を刺すという無茶な刺激を与えることで細胞を傷つける。身体はその傷を修復しようとして、いろんなホルモンを出し、結果、以前よりいい状態の細胞になる。こんなことをする野生動物はいない。確かに人間だけだ。

 精神力も同じで、自分に備わっている能力以上のことに対応せざるを得ない状況に追い込まれると、いつしかその限界の殻が割れ、より強く、たくましくなっていく。談慶さんはそれを「成長」と呼んでいる。「無茶ぶり」されて、「いや、無理です。できません」と拒否すれば、そこでその人の成長は止まってしまうのだ。

 「無茶ぶり」は、ただの「いじめ」ではない。その違いを談慶さんはこう区別する。

 短い期間で成長させようとする師匠の残酷な優しさが「無茶ぶり」である。その向こう側に笑っている未来の自分が見えたら、それは「いじめ」ではなく、「無茶ぶり」なので、迷わず邁進(まいしん)すべきである、と。

 そうは言っても、やはり「無茶ぶり」はキツい。そんなとき、談慶さんはこう思って超えてきた。「これって将来、絶対ネタになる」。実際、真打ちになった今ではキツかった経験がすべて笑いのネタになっている。

 それから、数値化することも励みになった。サラリーマン時代は営業ノルマが大嫌いだった談慶さんだが、落語界に入っても、「二つ目になるには落語50覚えろ」「真打ちになるには100覚えろ」と言われた。苦しかったけど、実際やってみたら数字は目標になり、それを超えたときは達成感や充実感、喜びになった。

 成長すると見える景色も違ってくる。ビルの1階の窓から見える景色と、地上50階の窓から見える景色が違うように。

 自分の限界を自分で超えるのは容易ではないが、「無茶ぶり」されることで、気が付いたら自分の限界を超えていたという人が、今ステキな笑顔を見せている。 

 そんな無茶ぶられた経験に感謝!

(日本講演新聞 2015年1月26日号 魂の編集長・水谷もりひと社説より)


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