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2章:精神障害者に何ができる?

お金を稼ぐには価値の提供が必須となる事は、一章で既に述べた。
ここではその上で、『ぼく達精神障害者は一体どんな価値を、どうやって、誰に提供出来るのか?』を一緒に考えていきたい。
この三つはそれぞれ関連しているので、個別にリストアップするのはあまり良い手法とは言えない。
「(どんな価値)を(どうやって)(誰)に提供出来る」という風に文章の穴埋め問題に落とし込んでしまうのが簡単だろう。
さて、ここからは皆さんにも頭を、可能であれば手も動かして頂きたい。
精神障害という特性を活かしてどんな価値が生み出せるか、ぼくとアイデア勝負してみよう。
制限時間は五分だ。それではヨーイ……ドン!
「普通とは異なる視点を、人と交流する事で普通の人に提供できる」
「特異な精神の内面を、文や絵や音楽で表現する事で読者に提供できる」
「同じ立場からの共感や問題解決の提案を、他の精神障害者と交流する事で提供できる」

……終わり。皆さんはいくつ思い付いたろうか。ぼくが五分で思い付いたのはたったの3つだけだ。良いアイデアがあれば是非ともお教え願いたい。
さてぼくが捻り出した三つだが、その内容には大いなる疑問符が付く。
『精神障害者は積極的に他人と交流出来る者ばかりではない』『精神障害者の全てが絵や文や音楽が好きなわけではない』……聡明な皆さんの指摘が聞こえてくるようだ。これらの指摘は全て正しい。
精神障害は多種多様な症状を無理矢理一つに納めている言葉だ。しかも、その中に押し込められているものがぼく達の全てという訳でもない。にも関わらず、ぼく達自身がそれだけを全てだと思い込んでしまう。それはまるで、一の桁だけで全体の価値を判断する電卓のようだ。
ぼく達は9ではないかもしれない。でも、10かもしれない。18ではないかもしれない。でも、21かもしれない。
障害はぼく達の一部分に過ぎない。自分という数式の変数を一つ一つを取り出してじっくりと見てみなければ、それがどんな価値を提供出来るかは定まらない。
そしてこれも、障害の有無に関係ない普遍的な摂理である事を意識して頂きたい。就活戦線で日夜声高に叫ばれる自分の棚卸しを、ぼく達障害者もやってみませんかというだけなのだ。
この章では障害者という一部分だけで価値の提供を図る無意味さを述べた。
次の章では更に一歩進んで、総合力で勝負しよう。つまり、精神障害者のぼく/あなたに何ができるか?を一緒に考えていきたい。

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