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検索キーワード『希望』

古今東西の成功者は口を揃えて言う。
「希望の火を絶やさず、人生に前向きであれ。そうすれば成功できる」
ぼく達は口を尖らせて返す。
「その希望とやらがどこ探しても見つからねーから皆苦労してんだよバーカ!!!!!」
そう。ぼく達には成功の前提条件である希望がそもそも見当たらない。希望がないから前向きでいられず、前向きでいられないから努力が続かず、努力が続かないから成功出来ない……悪循環だ。
これだけ成功の奥深い要因となっている『希望』とやらが一体どこにあるのかを突き詰めて考える意味は、十二分にあると言えるだろう。

情報化社会に生きる人間として、分からないものはまずググってみる。『希望』……国語辞典の内容が一ページ目に並んだ。違うそうじゃない。
『希望 どこ』……宇宙ステーションの話が出てきた。生憎その七十億分の一くらいミクロな話だ。
どうやらGoogle先生も安易に回答をくれる気はないらしい。大企業が駄目なら市民の力を借りよう。
メルカリ!おめぇの出番だ!オラに希望を売ってくれーッ!
期待を込めて検索ボタンを押してみれば、そこには大量の世知辛い『希望』価格が整然と並んでいた。

……仕方がない、ここは自力で考えてみる事にしよう。
希望とは何か?国語辞典に曰く、未来に望みをかける事だ。
望みをかける、とはこうあって欲しいと願う事である。
これらを足し合わせると、希望とは、対象の未来にこうあって欲しいと願う事である。
……おや?なんだか想像と違う。思っていたより柔らかい。というよりもむしろ、ゆるい
確認のため、定義に則っていくつか『希望』の例を挙げてみよう。
・明日は楽しい気分で過ごせますように
・明後日はインドカレーが食べられますように
・1ヶ月後には可愛くて性格が良い彼女が出来ていますように
・一年後には預金が一千万円貯まっていますように
・十年後には日本中の働く障害者皆がイキイキと生きていけますように
これらは全て希望だ。成功者達が口を酸っぱくしてぼく達に持つよう言い伝え、ぼく達が血涙を流しながら探していたモノの正体だ。
希望を持つには断固たる決意も必死の覚悟もカルトじみたポジティブシンキングも必要ない。ただ、とりあえず、なんとなく願えばいいだけのようだ。正月の初詣と何一つ変わらないではないか。つまり、希望とはゆるい概念なのだ。

では、そんなゆるい希望とは一体何の役に立つのか?
これもついでに考えてみよう。
ぼくは明後日お店でインドカレーが食べたいと希望している。
この未来に向けての障害物は二つある。
お店でインドカレーを食べるには500円が必要─①
インドカレーはハイカロリー─②
で、あるならばぼくは①を解決するためにメルカリを活用して1日250円を稼ぎ、②を解決するために今日と明日は食後に目一杯運動して明後日のインドカレーカロリーを帳消しにすればよい。
これが希望の効能だ。希望を持つと、希望と現実とのギャップが見えてくる。そのギャップを一つ一つ解決していけば、希望が現実へと近付いてくる。
希望は無限大のエネルギーを発揮するスーパー燃料ではなく、ゆるい未来の設計図なのだ。
最後にここまでの論を踏まえて、冒頭の成功者達の言葉をもう一度捉えてみよう。
「まず設計図を作って、課題があったら一つ一つ解決策を考えてみよう。課題を全部解決できたら設計図通りのものができるよ」
結局、たったこれだけの話であった。

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