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#建築をスキになった話 建築が好きでも無いけど建築設計の仕事をしている事

どーも おっちーです。

#建築を好きになった話

この話題は一度話したいと思い記させていただきます。

まずはじめに言っておきますが私は建築が「スキ」ではありません。

もう一言加えるならば「キライ」でもありません。

この時点で気分を害された方は戻った方が良いと思います。

しかし、逆に好奇心が少しでも湧いたなら、私の話を聞いていただければと思います。

自己紹介も交えながら「スキではない理由」をお話しします。

改めて自己紹介

現在は賃貸アパート、マンションの設計の仕事をしております。一応一級建築士で管理建築士の講習も履修しました。(独立する予定はありません)
この仕事をして早6〜7年、特にここ数年ではアパートマンションの戦国時代の様な都内での設計を主にしているので、「共同住宅」における設計の知識や基本設計の知識に関してはそこそこのものだと自負しております。(デザインはへっぽこですが)

私の過去から振り返ってみましょう。

学生時代

大学は建築学科に入り、修士まで出てます。
しかし、建築学科に入学した動機というものも青臭いもので、進路を決めるにあたり「理系科目はできるけど文系は全くダメ」であり、しかも「他の人とは違うクリエイティブな事をしたい」という理由で、なんとなく一番クリエイティブそうな建築学科を受験しました。
別に好きな建築家や作品があるわけでは無く、恥ずかしい話ですが「丹下健三」や「安藤忠雄」の名前もよく知らないまま、建築学科に入りました。(フランクロイドライトはなんとなく知ってたかも)

大学に入るとそこは建築家を志す「志が高い人」と「意識が高い人」の巣窟でした。1年生から研究室に通い、徹夜で模型を作り続ける人や、建築やその他思想の談義に花を咲かす人だらけでした。私は、はっきり言って馴染めませんでした。その為、3年生まではバンドやったり、バイトしたり、はたまた地元の成人式の運営する団体のリーダーをやったりしました。(段々就活のESみたいになってきましたね。)

3年生の時、「せっかくだから建築にちゃんと向き合おう」と思い、大学の有志の建築サークルに入り、前述した「志の高い人」の輪の中に飛び込みました。今思うといい経験ですが、はっきり言って「苦痛」でした。
まず徹夜が嫌いでした。不器用なので模型作りも苦手でした。
よくわからないけどエスキスとか色々書いたりすることもできませんでした。

あと「建築学生あるある」な、マウントの取り合いの様な談義にも辟易してました。最後の最後は終わった達成感に満ち溢れていましたが、あれは単に徹夜明けでハイになってただけと今は思えます。

結局私は学生生活の中で建築を「スキ」になることはありませんでした。

学生生活も終盤になり。いろんな分野を志望して就職活動をしました。
中でも面白いケースとして「ストリートファイター」「バイオハザード」などを手がけるカプコンのゲームプランナー職の募集で最終面接まで言った事もあります。
(ちなみに最終面接でゲームの市場に対する意識の低さをボロクソに叩かれました。後になって調べたら、その時の面接官は「モンスターハンター」のプロデューサーでした。)
そんなこんなありましたが、結局今の勤め先から内定を頂きました。
当時東日本大震災が起きた直後で就活だけでなく日本中が混乱していました。その為「建築学科に入ってたわけだし、選り好みしてる場合ではない」という気持ちと就活を終わらせたい「甘え」が重なり、結局今現在も務めている賃貸アパート、マンションの建設する会社で設計職として入社する事になります。

繰り返しますが、結局学生の間で建築を「スキ」になることはありませんでした。

※ちなみに所謂建築を見に行くことは学生時代もしましたが、はっきり言って感動体験などはありませんでした。


社会人になって

今の会社に入り、最初の配属先が静岡の浜松でした。初めての転勤で初めての一人暮らしでした。
浜松での生活は趣旨から外れるのでここでは話しませんが、職場の環境は良いものではありませんでした。配属してすぐに「教育係」「メンター」となった先輩はその当時心を病んでいたこともあり、かなり激しく私に当たりました。手こそ出してこないものの、周りに上司がいない時など、日課の様に人格を否定する様な言葉を投げかけてきました。
(受け取り方は人それぞれなので、それがパワハラなのかとか、愛のムチなのかは私から判断はできません。)
配属して1年が経とうとする頃、結局その先輩は心の病気が悪化して、休職、後に退職しました。こうしてみるとブラックな環境に聞こえるかもしれませんが、建築の世界は扱うものが大きいだけにある程度のハードさは仕方ないです。それが仕事における得手不得手だと思います。
すると、今度はその先輩の「置き土産」の様な引き継ぎ業務をこなすことに追われ続ける様になりました。ブラック企業自慢はしたくありませんが、仕事を始めて浅い頃ということもあり、かなり過酷な環境が続きました。まさに「仕事が早く無事に終わる」ことだけを祈る毎日です。

結局私は仕事を始めてからも建築を「スキ」になることはありませんでした。

さすがに3年ほど経つと要領を得てきて落ち着き始めるのですが、建築試験の勉強との両立が始まりました。自分としても、「取っておかないとなあ」という様な気持ちで勉強に臨みました。
しかし、上記の様なハンパな気持ちだったので、中々合格しませんでした。特に製図試験はうまく行かず。不合格になるたびに「お前に建築する資格は無い」と建築のカミサマに言われている様な気がしました。

そして、製図試験のカド番、これに落ちたら学科からやり直しという年に、一級建築士試験に合格してしまいました。

正直やけくそ気味でもあり、「これで落ちたらこの業界から足を洗おう」と思ってた時でもありました。

建築のカミサマは建築を「スキ」では無い人につくづく意地悪なもので


「やめようとするもんならやめさせなくしてやる」とでも思われたのだと思います。

こうして私は建築を「スキ」になることが無いまま設計屋としての最低限の肩書きを得ることになりました。


そして、地元でもある東京に戻れることになり、現在も都内でのアパートやマンションの設計を続けています。
はじめにも言いましたが、都内でのアパート、マンション建設は競争が激しく、「法規」「コスト感覚」「デザイン」の力でシノギを削る場所でもあります。そのおかげで「デザイン」「コスト感覚」は怪しいですが、「法規」によるプランニングスキルは磨かれてきています。

また典型的なアパート、マンションメーカーの為、営業からの風当たりがとても強く。
法律を度外視した計画や、無謀なコストダウンを平気で要求してくる環境であるがゆえに、「設計屋」としての「スタンス」がより固められ、無理なものをしっかり裏付けされた理屈で応答できる様になりました。
もし設計の人の方が立場が上の会社に入っていたら、この様なことは無く、場合によってはもう辞めていたかもしれません。

今に至る、結局 スキにならなかった話


結局今に至るまで建築を「スキ」にはなれてませんが、代わりに建築に対する「矜持」を得ることができる様になりました。

ここまでの話を我慢して読んで頂いた方の中には「結局建築のこと好きなんじゃ無いか?」と思われる方もいるかもしれません。
しかし、何度も申し上げますが、私は建築が「スキ」ではありません。今でも断言できます。 

では何で建築の仕事を続けていられるのか? それは自分の「仕事」としての「矜持」を持っているからだと思ってます。


「好きな事を仕事にする」みたいな、まるで「インスタ映えするライフスタイル、働き方」の記事を最近よく見かけます。しかし、別に「スキ」を仕事にする必要は無いと思います。もし私が建築を「スキ」だったらとっくに理想と現実のギャップに幻滅して辞めていたでしょう。

普段街を歩いてカッコイイ建物を見たら写真をとったり、収まりや材質に五感が動くのは「スキ」だからでは無く、「仕事」として、自分の為だからやっているにすぎません。
またこれまで実務経験を積んできている為、「大体フリーハンドでスケールを狂わずに図面をさらっと書ける」くらいにはなりました。
しかし、はっきり言ってすごいとは思ってません。仕事してたら勝手に身につきます。

以上が私が建築を「スキ」にならなかった理由になります。
そして、おそらくこれからも「スキ」になる事は無いと思います。
それは建築が自分にとって「仕事」であり「矜持」となっており、「スキ」とか「キライ」とかの次元にはいないからです。

最後になりますが、建築を学ぶ、または建築に携わっていながら建築を「スキ」と思えない人がもしいたとしてら、決してその事を気にしないで下さい。本当に嫌なら辞めても良いですし、「スキ」で無いと建築をしてはいけないなんて決まりはありません。
また好きである事を強制してはいけません。「建築を好きでも無いのに設計の仕事をするな」と言う資格は誰にも無いのです。

※余談ですが、上記の様な事を言う人は大抵「建築は好きでも実務に関わってない人」です。説得力なんかないです。

好きで無い事に負い目を感じる事なく。代わりに「誇り」を持つ事、それこそが建築設計を行う上でもっとも大切な事であると思います。

ではでは

動画も含め、建築を「伝える」「教える」コンテンツ、場を作る事を目標としております。よろしくお願いします。