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病室の隣のおばあちゃん👵(入院中感じたこと②)

私の入院した病棟は、大部屋が一つしかなかった💦
それだったら同じような病気の同室の方と仲良くなれたらそれも楽しいかなとも思ってトイレ無し2人部屋を希望❗
歩くのもリハビリと聞いていたので、トイレはなくて良いと判断して・・(笑)
しかも、これがこの病院の差額ベッドの中で一番安い😊
それでも一泊1580円だったけど・・💦

入院当日、お隣の方にご挨拶(#^.^#)

お隣は、お耳の遠い95歳のおばあちゃん👵
名前を名乗り、
「明日手術するんですよ。よろしくお願いします😊」と、とりあえず大きな声で伝えた💗
優しそうな人だった🎵

ところが、このおばあちゃん、私が入院した1日目の水曜日、夜中でも何回もナースコールを押して、「オシッコ」と言いオムツ交換してもらっていた。昼間ずっと寝ていたので夜は眠れないのかもしれない。

その度にカーテン越しから光が漏れ、声も聞こえて、私自身も次の日の手術が不安で眠れないのに、眠れたと思うと起こされてしまう・・💦
また暑い日でも「冷房は嫌!」と言い、私は汗びっしょり。ちょっと看護師さんに相談して調整してもらった。
この先大丈夫かな?とプチ不安になった💦

次の日の木曜日は私の手術、私はそのままICUに入ったので一般病棟に戻ったのは、金曜日のお昼前。

病室に戻ると、昼から五分がゆが出た。ベッドを起こしてもらい、やっとベッドの上に座って少しだけ食べる。歯磨きもベットの上で・・。

鼻から酸素をつけて管に繋がれたままの私、声もあまり出せないのでおばあちゃんに術後の挨拶もできず(耳も聞こえないし☆☆)、その日は熱もあり看護師さんが夜も何度も来ていたので、もしかしたら私の方が煩くて迷惑をかけていたかもしれない💦

次の日の土曜日、昼前から少しずつ管が外れた。
やっと午後に酸素も外れ、腹部ドレーン、硬膜外麻酔、そして最後に尿ドレーンが外れて、トイレトレーニング開始となった!!
最初のニ回はベッドを起こしてもらってから看護師さんに付き添われて、三回目からは動くのも起きるのも痛いけど、柵を使って腹筋は使わず自分の腕の力で起きて(この起き方はほぼ退院するまで続いた💦)一人で歩いてトボトボ?ヨチヨチ?トイレにいく( ;∀;)

排尿の感覚が、戻らないので数日は時間でトイレに行った。
トイレに行くために身体の向きを変えて起き上がり、立ち上がり、歩いてトイレに行き、トイレに座り、お尻を拭いて立ち上がる( ;∀;)
一つ一つ時間がかかったなあ。
でもこれがリハビリ(笑)
一日一日動きも少しずつ軽やかになり、痛みも少しずつ我慢できるようになった。

日曜日の昼食後からは歯磨きも病室の洗面所まで歩いた。(それまではコップの中に看護師さんが水をいれてくれて、使った水も看護師さんが捨ててくれていた💦)

洗面所はおばあちゃんのベッドの方にあったので、1人で洗面所を使う初めての時、よろよろしながら洗面所に向かい、やっと挨拶をした。

すると、「歩けるようになったんだね。心配してたんだよ。良かったね」と言ってくれた。

か細い声で
「ありがとうこざいます。まだ痛いけど頑張りますね」と答えたが聞こえない(笑)
そばに来い、と手振りをするのでベッド脇まで行き、また同じように答えると、

「無理しちゃダメだよ。痛いときは看護師さんを呼んでやってもらいな」と言ってくれた。

なぜかその言葉で
私、頑張ってるんだ、と思って、涙が出た。
まだそのころは、咳をしてもくしゃみをしても、少し動くだけで痛くて痛くて、洗面所で口から水を捨てるのも大変で・・
でも「起きて、歩かなければ、頑張らなければ」と私なりに頑張っていた自分に気が付いた。
おばあちゃんの「やさしさに救われ」ながらも、結局、私は「これもリハビリ」と思っていたから、出来るだけなんでも自分でして、看護師さんを呼ぶことはなかったけど…(笑)

そのあとは歯磨きのたびに、おしゃべりをした。
2人で仲良くおしゃべりをしていると、看護師さんが私たちに言った。
おばあちゃんには「◎◎(おばあちゃん)さんは、おしゃべりが好きだから、話せる人が隣で良かったね(^^)/」
そしてわたしには「ありがとうございます(#^.^#)」と・・。

時には、おばあちゃんが看護師さんに「カーテンを開けて」と言って、二人でベッドに横になりながらおしゃべりもした。(私は聞く中心、私が話すときは大きい声で言うしかないけど、はじめのころはまだ声に力がないので話しても伝わらない(笑))

私が数日してシャワーができるようになると(術後4日目の月曜日)
「良かったね、良かったね💛」と一緒に喜んでくれた。

その頃、おばあちゃんは入院して1ヶ月くらい経っていたらしく、退院の話が出始めたようだった。
入れ替わり立ち替わり看護師さんが、「これからのことを家族や先生と相談しようね」と、声をかけていたし、ソーシャルワーカーさんも話に来ていた。

おばあちゃんはそのたびに、
「私は旦那を見送ってからは入院するまで一人暮らししていて、家もあるから家に帰りたい、でも無理なのか?
家に帰れないなら、死ぬまでここに置いてください」と言っていた。

そして回診の医師が来るたびに
「先生、家に帰れないなら、最後までここにいさせて!」と、涙ながらに話し、手を合わせていた。
そんな会話が繰り返され、看護師さんたちはおばあちゃんにそのことについては、声掛けをしなくなった。。。

そのころから、おばあちゃんは、時々車イスでトイレに行ったり、リハビリにも行くようになった。夜中のオムツ交換も一回くらいになった。

トイレに行って病室に戻ると、しばらく車イスに座っていたので(気分転換とリハビリだと思う)、「ちょっとこっちに来ておしゃべりしよう」と声をかけられる。

私は本を読んでいても映画を見ていても、呼ばれればおばあちゃんのそばに行き、しばらく話をした。聞き役だったけど・・。

おばあちゃんの子ども達のこと、お孫さんのこと、これからについての思い、おばあちゃんは私にいろいろ話してくれた。

子どもは男二人、女一人の3人。
娘さんが一番頼りになるし信頼してるけど、
娘さんは同居の義母の介護と、お孫さんが生まれたばかりでてんやわんやだ、と寂しそうに言ってた。

次男は家族で離れて暮らしていて、長男は近くに家族で暮らしている。
長男家族と同居するために家をリフォームしたけど、お嫁さんとうまくいかなくて(食事が合わないと言っていた)、長男家族は別居になり、近くに家を建てたらしい。

長男のところには退院しても行きたくないと言う。
どうも長男家族からは病院側に施設入所の希望が出されているようだった。

おばあちゃんは、自宅の畑で野菜を作り、一人暮らしをずっとしてきたけど、突然救急車で運ばれて(胆石)、ここの生活にもやっと慣れて、
「ここの看護師さんはみんなよくしてくれるからここにいたい」
とよく言っていた。

「施設も決して悪くないよ、話を聞いてみたら?」と言おうとも思ったけど、私は家族ではないし、何も責任はとれないから、とにかく、ただひたすら話を聞いてあげていた。

私には「リハビリはしたくない、疲れるから嫌だ」と言ったり、家族の愚痴も言うけど、リハビリの人が迎えに来ると頑張っていたし、家族が来ると車イスを押してもらってちゃんと面会に行っていた。

おばあちゃんには、家族が毎日のように面会に来ていた。
看護師さんが、「今日は娘さんが来たよ」と伝えると喜び、「今日は長男さん家族が来たよ」と伝えると、あからさまにテンションが下がるのがわかった(笑)
面会は15分だったから、日々は私の方が話をしていたかもしれない(笑)

皆さん毎日たくさんお土産を持ってくるけど、
「こんなに食べられないからこれ食べて」と看護師さんや私に分けようとする。

看護師さんは丁寧に断り私も何回も断ったけど、あげたくてあげたくて仕方がないみたいだったので、断りきれなくて二回いただいた。

そのたびに、「ありがとうございました。美味しかったです。また話しましょうね💗」などと私の名前も書いてメモを渡した。

すると、おばあちゃんも返事のメモをくれた。

名前、住所、電話番号等が書いてあった。
「でもここ(自分の家)には帰れないから渡しても仕方ないね」と寂しそうに言いながら・・。

その後、おばあちゃんは、「回復期リハビリ病棟」に移動することになったようだ。(医師との会話で漏れ聞こえただけだけど・・)

そして、私の退院も決まった。

「退院、良かったね。家族のみんな喜ぶね。
でも私は寂しくなるよ・・」
と言いながら泣くので、私も泣きそうになった。

おばあちゃんには、まだ誰にも見せていなかった手術の傷跡も見せた。

おばあちゃんは、「娘と合わせたい。こんなに頑張ってる人がいることを教えたい」と言ってくれた。
そんなに頑張っていたわけではないけれど(笑)、娘さんと引き合わせたかったみたいだ。

私の退院の日、おばあちゃんのところにリハビリの先生が来たら、
「今日はこの人の退院だから、行きたくない」
と素直に言ったおばあちゃん。

リハビリの先生は「じゃあ廊下で歩く練習をしましょうか」と提案してくれて廊下で手押し車を使いながら歩くことになった。

私は夫が迎えに来るまでおばあちゃんのそばにいて応援した。
最後の日も、おばあちゃんからメモの手紙をもらった。

結局、娘さんとも会えずに私は退院となった。
おばあちゃんには手を振ってお別れした(´;ω;`)ウゥゥ

おばあちゃん、今どうしてるかなあ。。。
また会いに行きたいけど、まだあの病院は家族以外の面会はできないし。。

教えてもらったおばあちゃんの家電に何回か電話してみたけど、誰もでない。
メモの住所は◎町だけなので、たぶん届かない😭

おばあちゃんが、これからも幸せでありますように、と
遠くから祈るしかできない。
私も痛みが辛いとき、おばあちゃんの優しさに救われて感謝の気持ちがいっぱいだから。いっぱい信頼して話してくれて私もとっても楽しかったから・・。
おばあちゃんの幸せを祈ろうと思う。

いつか電話が繋がることを願って💗
何かで繋がることができたら会いにいきたいなあ~💛

色々なことを考えさせられたおばあちゃんとの出会い。

それがあったから、叔母の願いを受け止め、叔母の手助けがしたいとあらためて思えた。

そちらについてもまたいつか❗

今日も読んでくださり
ありがとうございました
<m(__)m>


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