2018/08/13 人工呼吸器
14:25
正午に終わった午前の面会。午後の面会まで、5時間以上もある。
「疲れてるし鰻とか良さそう、成田だし♡」
所要を済ませ軽いノリで鰻を目指したら、ランチ難民になった。なんでこんなにも長蛇の列列列なんだ。
何軒目かの鰻屋さんの行列で、お盆真っ盛り、ということにようやく気がついた。
鰻で回復するはずが、余計にぐったりだ。
しかも、午前の面会を引きずって、気分も落ち込み気味だ。
よし、こんなときは。
病院のすぐ近くにあるスーパー銭湯。お風呂に入ってマッサージを受けて、ゆっくり休んでから、夕方の面会に行こう。
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午前の面会。
ICUに入ると、亮くんの上体は起こされていた。
手術から2週間もの間ベッドに寝たきりだった亮くんにとって、「上体を起こす」は、大事なリハビリの一環だ。ただ、相当に疲れるのだろう。だいぶ苦しそうで、ぐったりしていると言える。
看護師さんが、腕を拘束するかと、私に聞いてくる。意識のある亮くんが聞いている(だろう)。躊躇いつつも、「お願いします」と答えた。
S先生が状態を教えてくれる。酸素濃度はだいぶ改善し、60まで落ちていた。目指せ40だ。「様子を見て、夕方にでも人工呼吸器を外せれば」と先生が言う。ただ、痰が絡んでしまう危険性がまだ小さくないので安全を期して明日以降がいいかと、とも付け加えた。ぜひ万全を期してほしい。腎臓の状態については、尿の量はまだまだ少ない(30くらいだったか)と。これは時間がかかることだ。
両足をバタバタさせる。私の手をぎゅっと握る。そして、苦しそうな表情をする。「疲れたようなので」と、看護師さんがベッドをほぼフラットに戻す。
苦しそうに顔を歪めて、私に何かを伝えようとしている。何度も、何度も。けれども、わかってあげられない。しかも、どんな言葉をかけてあげたらいいのか、分からない。「大丈夫だから」、「側にいるから」。そう言葉をかけてみると、首を横に振られた…。そうだよね、「大丈夫」じゃあないよね…。(「そうじゃない」、なのか…?)
…いや、私がそんなことで凹んでどうするんだ。苦しいのは亮くんなんだ。支えるって、決めたじゃん。
今日も小さな音で、ラジオが流れていた。
昨夕の面会時に気が付いて「ラジオが」と義父母に言うと、「午前からかかってるよ」と言われた。全く気がつかなかった。
「いつでも捜しているよ、どっかに君の姿を、明け方の街、桜木町で、こんなとこにいるはずもないのに」と、山崎まさよしが歌っていた。
19:33
午後の面会のこと。
亮くんの意識は明瞭さを増していた。
看護師さんの動きを目で良く追う。
とても苦しそうで、動こうとする。
自分の足をじっと見る。
何を思っているのだろう。
午前と変わらず、何を言いたいのか分かってあげられないのが、とてももどかしく悔しい。かける言葉が見つからず、黙って手を握ったり、額に手を置いたりするしかできなかった。
ポジティブなこともある。
今日の亮くんは良く動こうとしていた。足の動きにはずいぶんと力強さが増し、そのバタバタと足を動かす様がまるで赤ちゃんみたいで、嬉しくて思わず笑っちゃった。
21:15
疲れていても、毎日だとしても、苦しかろうと、それでも全然いい。
今日も、明日も、毎日顔が見たい。側に行きたい。
久々に、わーっと泣く。泣きまくる。滝だ。洪水だ。
昨日は、私を見てくれて、手を握ってくれて、頷いたり、首を振ったり、ただそれだけで十分だったのに。今日は、声が聞きたい、わかってあげたい、現実とのギャップ、できないことに、苦しくなってしまう。
なにかを伝えようと一生懸命なのに、口の動きや目や表情から分かってあげることはできない。もどかしくて、ごめんねごめんねっていう思いで苦しい。一体、どんな言葉をかけたら少しでもプラスになるのだろう。
亮くんが今夜は眠れますように。眠れて状態が良くなって、1秒でも早く人工呼吸器が外れて、1秒でも早く苦しさから解放されますように。
泣き疲れて、泣き止む。
…亮くんの苦しみを、ちゃんと理解しないと。
調べよう。
「ICUで人工呼吸器を装着している術後の患者さんが抱える主な精神的ストレス」は、
亮くんの場合は、
人工呼吸器装着日数:8月1日〜(13日目)
集中治療室滞在日数:8月2日〜(12日目)
鎮痛剤の使用:yes
鎮静剤の使用:yes
ということは、やれることは、
手足をさすって痛みやついらいと感じるとこはないか確かめる
励ましの言葉をかける
よし、明日は、これをやってみよう。
またひとつ、新しいチャレンジがやってくる。
最初の頃のチャレンジとの違いはあれど、目の前にやってきたそれに最善を尽くす、ということに変わりはない。
泣いても良い。一度落ち込んでも良い。
でも、そこからだ。
調べたり聞いたりして知識を得て、亮くんの状態や思いを理解するきっかけを少しでも掴み、状況を少しでも良くできるよう、アクションを取ることはできる。
やれることは、いつだってある。