2018/08/01 pm 緊急手術

17:05

大病院の救急窓口は混み合っていた。
救急車の到着時ですら二台待ちだったなと思い出しながら、待合室で待つ。とても長い時間に思えた。

ご両親が向かっている。
2人が到着したらどうしたら良いのか、考えないと。

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名前が呼ばれ、ひとり執刀医W先生の説明を受ける。
急性大動脈解離の緊急手術。18時半に開始する。
上行と弓部大動脈に加え、基部の人工血管への置換を行う。
8時間はかかるだろう。

求められるままに、様々な書類へサインをする。アレルギーや既往症などを聞かれるが、正直なところ分からない。もっと言えば、判断できない。亮くんには聞けないし、ご両親は高速を運転中だ。
「これまでは特に何もなかった」とだけ伝えた。

全身麻酔への同意書にも、サインをした。

サインをする手が、震えていた。このサインの先に、亮くんの命がある。結婚して6年。「家族」である事の意味を、初めて感じていたかもしれない。

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手術を待つ亮くんのベッドに向かう。鎮静剤が効き、通常の会話もできるようになっていた。執刀医とは別の若い先生が、柔和な雰囲気で(おそらく和ませようと)サーフィンの話を振る。そんな話題には気が入らず、苛ついているような雰囲気すら感じさせて、亮くんは不安そうな表情で私に話しかける。

なのに、この時何の話をしたのか、まったく思い出せない。
覚えていることは、ご両親が向かっている、と、伝えたことだけだ。

手術室に入る18時15分が迫る。先生方にもご両親が向かっていることは伝えてあるが、仕方がない。亮くんを乗せたストレッチャーが手術室へ向かって病室を出た。

エレベーター前でドアが開いた。
出てきたのは、まさかのご両親だった。間に合った!!なんてタイミングだろう。間に合った喜びも早々に、お二人も列に加わり共に手術室へと向かう。二人は時折、亮くんに言葉を掛けた。亮くんの表情から不安と緊張が消えることはなかった。

「ご家族はここまでで」。
手を振る亮くんの姿が、手術室の扉の向こうに吸い込まれていった。

亮くんから見る私は、どんな表情をしていたのだろう。

手術が終わるのを待つ

真夜中の道は空いていた。

手術の終了予定時刻は午前2時。「背中が痛い」の訴えに家を出てから、すでに12時間近くが経過していた。

留守番のビッケはどうしているだろう。ご飯をあげなくては。
我が家の一員になってから4年。ビッケは初めての一人ぼっちの夜を過ごしていた。そもそも、ひとりでいた事だって数回、長くても数時間なのに…。しかも空腹だ。

成田にある病院から自宅まで、車で約1時間かかる。往復し用事を済ませたら、3時間近くかかるかもしれない。その間に何かあったら。病院から、亮くんから離れるなんて、不安で胸が潰れそうで嫌だった。

躊躇する理由はもうひとつあった。

専門病院から救急車に同乗した私は、車をそこに置いたままだった。つまりは、自宅へ行くにも足が必要だった(地理的にも時間的にも公共機関の選択肢は無い)。
義父が同行を申し出てくれる。でも手術中に何かあったら、義父すらも巻き込んでしまう。

「大丈夫だから。パパも行ってくれるし、いってらっしゃい(笑顔)」
こんな極限の状況下でも、義母のポジティブなエネルギーと笑顔は健在だった。それに後押しされる形で、真夜中の道を義父とふたり、自宅へ向かった。

27:50

18時半に始まった手術。
予定終了時刻は、午前2時半。

病院に戻り、お義母さんと私は家族室で、お義父さんは家族待合室で、それぞれ仮眠を取っていた(気がするが、思い出せない。いずれにせよ、家族室にはベッドが二つしかなかったからそうだろう)。

持たされていたポケベルが鳴る。
手術が終わった。
午前2時半。予定通りだ。

手術室へ急いだ。

暗い廊下の先に、明るい手術室が見える。
扉が開く。
執刀医の先生を筆頭に、6人ほどのスタッフがこちらに歩いてくる。真ん中には、大きなベッド(のようなストレッチャー?)。麻酔で眠っている亮くん。
ご両親とともに、その行列について歩く。

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暗いICU。ベッド脇で、執刀医の先生のお話が静かに始まる。

特に問題無く手術は終わった。
一点、肺がまだ上手く酸素を取り込めていない。80%の濃度の酸素がまだ必要。
予告通りだ。手術前の説明を思い出す。
180cmの身長に対して100kgの身体。「体の大きさ、胸とお腹によって、仰向けで寝ていること自体が圧迫する」。

「それ以外は問題が無い」と聞き、安堵した。

大動脈が裂けた場所についての説明ももらう。
弓部のちょうど上の方から、両サイドに裂け目が広がっていった。裂け目自体は場所的に非常に難しく切除出来なかったが、(心臓から出て上に上がっていく)上行部分は切除して人工血管に替え、(下に向かう)下行部分はステントグラフトでの処置をした。

「その(弓部の)裂け目自体は切除できなかった」ということが何を意味するのかしないのか、全く分からなかった。

先生の「このまま麻酔で眠り、ICU面会時間の11時15分の回に会う、で良いと思う」に従って、面会時間まで家族待機室で休ませてもらうことにする。帰宅→自宅で寝る→また来る、という選択肢もあるけれど、面会時間は45分しかないし、往復2時間の運転(しかもずっと下道)をするより少しでも寝たほうが良さそうだ。

ご両親は一旦帰宅し、面会の時間に合わせて戻って来る事になった。

2人を見送りに、夜間用の玄関を出る。東の空が明るくなってきていた。
夜が、明けようとしている。

やっと1日が終わるんだ。

「Miwoちゃんじゃなきゃできなかった」と、今日1日の私の苦労をご両親が労ってくれる。義父が「亮は幸せ者だ」と、笑顔で言ってくれる。

後悔と申し訳なさで今にも潰れそうだった心が、溶けていくような気がした。

70代の義父は、この12時間程の間に、横浜から成田、成田から私の自宅への往復、と、6時間も運転した上で、成田から横浜へ2時間の運転だ。しかもほぼ寝ていなかった。

「来てもらって良かったのだろうか」
見送りながら、そう過ってしまうほどに不安だった。でも。ここで休んでも、体は休まらないだろう。引き止めることはできなかった。

(この時は考えが及ばなかったが、家族待機室にはベッドが二台しかなかった。私をそこで寝せることを優先してくれたのだろう。彼らはいつだって、私を一番に考えてくれるのだ。頭が上がらない。)

ひとり家族待機室に戻る。

ベッドで目を閉じる。
「地獄」の痛みに耐える亮くんの表情や姿がひたすらに思い出される。
整形外科なんかに連れて行き、遠かった上にどれほど待ったことか。いたずらに時間を消費したことで、大動脈の裂け目が足までに及んでしまった。
悔やまれて悔やまれて、心が潰れそうだった。

明日、というか今日の11時15分の面会で様子をみて、これからどうして行くか、そこから考えよう。まずは寝ないと。

神さまがいるのなら、心から祈りたい。

ご両親が、無事に自宅まで帰り着きますように。

亮くんの体が、無事に正常を取り戻していけますように。

亮くんがんばれ。私はここにいるから。


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