カテゴライズの安心感

MBTI、今じゃもう結構人口に膾炙しましたね。
人は何かに属したり自分の性質に名前がつくと安心する。それは言葉の魔力でもある。
でも、果たしてそれでいいのだろうか?
私はあの診断テストを何回やってもINFPと出るんだが、あんなもん答えるときの精神状態でも変わると思ってるし、そもそも自意識というフィルターを掛けてしか自分を見つめられない(=真の客観などありえない)中で、ポチポチと回答していく診断になんの意味があるのだろう。
話の種に、とか、暇だから、とか、そういうのでやってみる分には面白いと思う。しかし少なくとも私は「私はINFPだから〜〜」などと言うつもりはさらさら無い。カテゴライズすることは単語に自分を閉じ込めることじゃない?
Xで「デミロマンティック」がバズってたけど、それだって別になんだって良いじゃないかと思うし、愛の形はグラデーションだから、何かに当てはめる必要もないと思う。
私は同性を好きになったことがあるが、自分がバイロマンティックでもバイセクシャルでもヘテロでも別になんでも良いと思ってるし、どれかに属する気もないし、ただ愛したい人を愛するだけ。
カテゴライズの安心感は分かる。けれどそれに当てはめすぎるのも自分を見失うことになるのではないかと危惧している。
自分の思考と性格を大切にして、愛を大切にして、それを心理テストとかではなく自分の言葉で紐解くほうが、よほど解像度が上がると思うのだ。
それは時に苦しいけれど、きっとマイナスではないはず。もしマイナスであっても、悪いことではないはず。

あなたはあなた自身を大切にして。

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