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【架空美容室】今日はサロンの外へ

【架空美容室】コーチのいるヘアサロン

これは私の妄想の中のお話です。

架空美容室を営み、
さまざまなお客様や身近な人との時間を
コーチとして
美容師として
ひとりの人間として過ごしています。

今日はお店を離れて
ちょっと近くまで行ってきます。

どんなお客様が待っておられるか
今日もご一緒されますか?



私が思うに
「聴く」ことが上手い美容師はお客様が多い

これが案外
できているようでできていないもの

ただ単に話を合わせて
うんうんと頷いていたら聴き上手なのか
というとそうでもない


自分はどうだろうか?

話しやすい人?

話してみたくなる人?

話さなくても居心地がいい人?

まだまだ難しい


さて
本日の向かう先には
話しをまったくしてくれない方がお待ちだ


「こんにちわぁDさーん
  今日もきましたよ」

いつもより低い声で
そして少しばかり声をはる

年配の方には
低い声が聞こえやすいという


準備をそこそこに
窓辺に腰掛けているDさんのそばに
私も椅子を持ってきて座った


お店ではエプロンはしないから
座る時にけっこうコツがいる

今日はエプロンも大切な道具のひとつ

私のことを覚えていただくための
大きな名札のようなもの


スタッフの方が出してくださった熱めの緑茶に
ふーっと息を吹きかけ
ゆっくりと喉を湿らせた

窓の白いフレームは
真っ青な海を際立たせていて
一枚の絵のようだ

私の湯呑みの2倍はありそうな
Dさんの湯呑みには名前が刻印されていた

広い部屋には
お互いにお茶を啜る音だけが響く


ここは
住宅型老人ホームとでもいうんだろうか

共有スペースには
ジム顔負けのマシンがある部屋
カラオケルーム
麻雀専用の部屋なども併設されているらしい

その一つに小さなエステルームがある
シャンプー台まで完備されているので
通常美容業を行う場合はそこで行うことになっている

Dさんは
がらんとした踊り場のような場所にいる


 「今日も海がきれいですね」

つぶやいた私の声は
誰にも届かないまま
消毒液のツンとした匂いにとけていく

Dさんは
半年前にここに入居された方だ

スラリとした長身に
足腰も問題はなさそう

何よりとにかく無口な方だ


はじめてお会いした日は
入居してから間もない
まだ冬服が手放せない春先だった

なかなか切りにいけなかったのか
自分で切ったような髪

そのガタガタのラインは
厳格なイメージを程よく裏切っていた


さっそく切り始めるには
なんともコミュニケーションがとれていない

スタッフの方も困っていると言っていたのは
こういうことか

この日
まずは私も椅子に腰掛けることにした

熱めの緑茶をすすった

そして目の前の海をただ一緒に眺めて帰ってきた

最後まで何もお話しをされることはなかった

髪は切らずに帰ってきた



「どうしたいかはご本人の口から聞きたい」

事前にスタッフの方とも相談していたが

「やっぱりそうですか
まぁ仕方ないですねー」

スタッフの残念そうな顔がこびりついた


Dさんは
"今は" 私と話したくないだけ

何か言いたいことがあるわけでもないかもしれないし

そもそも私のために想いを言葉にするのも
しんどいのかもしれない


でも本当は
言いたいことも
話したいこともあって

自分の髪型だってイメージがあるのかもしれない

ただ私が
まだその耳を持っていないだけだ

私は度々足を運んだ


緑茶をすする
海を眺める

私は自分のことをポツリポツリと話をしながら
テーブルに鏡を置いた

Dさんと私の顔が鏡の中で交差するように

海を眺めていた

私も海を眺めた

不快な雰囲気は感じられなかった

窓から差し込む日差しがのびやかに私たちを包む

暖かい日が増えていく

少しずつではあるけど
うん
とか
いや
とかのリアクションを受け取ることがでるようになった

少しだけ
ハンドマッサージをさせてもらえる日もあった

大きくてゴツゴツした
あたたかい手だった



そんな時間を繰り返して
今日で何日目だろうか

すでに髪はだいぶ伸び切っている

いつものように
海をながめる
緑茶をすする

(お茶飲み友達のようだな)
おかしくなって少し頬が緩む


テーブルに鏡を置いた

今日は道具も並べてみた


さぁてと
緑茶でも飲むかと座ろうとした時


「今日は丸刈りにしてくれ」

はっきりとした口調が聞こえた
 


「ま、丸刈り、ですね
 わかりました」


「バリカンを使おうかなと思いますが
いいですか?」

うむ
とうなずく

「ちなみにご自身でされたことはありますか?」


少し考えたあと
大きく体を動かし
バリカンを手に取った


慌ててクロスを巻く

「動かしてみますか?」

作動方法をお伝えする


耳には補聴器をされていたが
私の話はきちんと届いていた


慣れた手つきで
バリカンの動作を確認する

そして
バリカンは躊躇なく音を立てて
頭をまあるく滑り
髪の毛は気持ちいいほど床にすべり落ちていった

懐かしむような手つきが
とても嬉しそう


「あとはできん」

ふと渡されたバリカンで
残された後ろや
剃り残した横を整えていく


バリカンの音にかき消されていたが

どこかから声が聴こえてきた
 

それは
とても優しく
噛み締めるような声で

それは
昨日のことのよう

データや数字、年号までしっかりと付け加えられた
体の一部のような記憶

海を見るその横顔は
タイムスリップしたかのように
微かな笑顔で
私が知らない
数十年前の輪郭をかたどっている


昔は
こうやって自分で髪を刈っていたこと

ご家族にも庭で全員短くしてあげたこと

壊してしまったものも
作り上げてきたものも

曇った表面を撫でてみると
カラフルな色彩が現れてきた

"あの頃の話"が
バリカンの音と共に鮮やかになっていく


見事に別人のようになられたDさんは
少し気恥ずかしそうに最後鏡をのぞき
ゴシゴシと丸刈り頭をこすった


「また頼むで」

ゆったりと立ち上がり
ドアの方に向かって歩いていく背中は

いつもよりも背筋がのびて
長身がますます際立っていた


今日は
波がない
風もない
クーラーもいらない秋の入り口

窓を大きく開けていたけど
うっかり髪の毛が飛んでいくこともなくてよかった

潮の香りは
部屋いっぱいに充満している


そっか

今日のこの匂いが
あの頃の自分を連れてきたのかもしれない


頑張っていたあの頃

挫折も裏切りも失態も
辛かったことも全部引き受けてもなお
守りたかったこと

今ではそれを誇りとすること


私は何も言えなかった

聴くことしかできなかった


でも、、
そっか

本当に受け止めたかったのは

あの頃の
ただただ情けなかった自分

本当は泣きたかった丸刈りの自分に

もう一度会って
自分と話しがしたかったのかもしれない


片付けを後回しにして
Dさんが座っていた椅子に腰をかける

あったかい

緑茶はすっかり冷めていたけど
磯の香りにも負けない風味で私を待ってくれていた

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