唐突に映画のことを書いてみる「ショーシャンクの空に」
久しぶりの書き込み。
最近何度か続けて観たショーシャンクのラストシーンに毎度毎度増す不安感について、誰かに聞いてもらいたくて書いてます。
上映当時、妹に勧められて観た時はとても感動したし、希望そのものしか感じない結末に感じていました。
そしてあの古いボートも、美しい海の風景を彩る希望の船としか感じていませんでした。
でもあれから数十年経って今年観たときの不安感は、何度か見返すたびに増すばかり。
ショーシャンクの空には、ほとんどがレッドのモノローグで語られています。
刑務所の中までのことはとても冷静に観察したエピソードとして、古株になり刑務所の中のことは全て知っているレッドなりに事実を伝え、想像もほぼ実際そうだったであろうこととして伝わってくる。細かい描写も含めて。
しかし、アンディが脱獄し自分が仮釈放になってからのモノローグは、とても不安な内容で語られているので、レッドの自信のある口調がないことで一見わかりにくいけれど、レッドは、社会についてほとんど知らない若者の時代に刑務所に入ってしまったため外の世界についてはほぼ知らない。そして、内容もほとんどが想像。
そしてアンディの言葉を思い出して辿る道のりも、あのバスで国境は果たして超えられるのかもわからない路線バスのような大きさのもので到底遠出をするような格好の人が乗っていないバスで、その後すぐにどこかわからない美しい海に背広ワイシャツ革靴のまま現れるのもとても違和感がある。
そして、そこで待つアンディもお金持ちになったにも関わらず、もう動きそうにもない古いボートを磨いていて、再開をした美しいシーンさえももしかしたら夢か希望の創造物なんじゃないかと思えるシーンに見えてしまうのでした。
映画には予算も日程も、制限もあるけれど。
あんなに朽ちたボートを用意する方が難しいと思えば、なぜ小さくてもすぐに動くボートではなかったのかと思ってしまい、見れば見るほど不安になるようになってしまいました。
レッドの
希望を持つことそのものが生きる糧であることのような言葉に並んでいる、現実としての囚人がバスで国境越えなんてできるんだろうか。
そう思って観てると、どこからが想像の世界なのかと考えるようになってしまうのです。
あの木の下の缶を見つけた時は?
トラックに乗せてもらったあの時は?
ナイフでレッドもと刻んだあの時からなのか?
英語が読めたら、当時のバスのことを知ってたら、もっとわかりやすかったのか?
地理がわかればもっとわかりやすかったのか?
と…。
あんなに希望を感じて嬉しかった気持ちのまま、ここに気が付かずにいれたらよかったな。
私も大人になり過ぎてしまったものだと。
少し切ないこの気持ち。
ココに刻むのでした。
希望は、叶えられているといいね。あれが想像で終わった映画だったとしても、
エンドロールの後には、本当に再会をしてる2人がいると思いたいです。
取り留めなく、また映画のことなんて書くかもわからないけど。
ではまた、何か思うことを何のテーマの統一もなく書いていきます。
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