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自分が可哀想だと思う人は本当に可哀想なの?まお。

こん日は!まおです!

私は「可哀想」という言葉があまり好きではない。
なんでかというと、自分は可哀想ではないのに、「可哀想」と言われることで
自分は可哀想なのでなないか?と勘違いしてしまうことがあったから。

この間祖母が「ママは病気で亡くなって可哀想だね」って。
本当に私の母は可哀想な人生だったのか???

そう思った時に、私は母の人生が可哀想だとは思わないし、思いたくない。
確かに病気にかかって亡くなったことは本当に残念で悲しいけれども、
母の人生は私たちを産んで子育てに励んだり、
料理教室やパン教室に通って食事を振る舞ったり、
母のことを思ってくれるたくさんの友人がいたなって。
その中でたまたま癌という診断を受けただけで、
その一部分を切り取られて「可哀想」とまとめるのは違うかなって。

祖母のいう可哀想というのは
「これから子育てが落ち着いたら自分の好きなことができる時間が増えるのに、できなかった」という点が可哀想らしい。

それはやっぱり自分の価値観の押し付けだなと思う。
実際その事実は少なからずあると思うし、祖母も子育てが落ち着いて
自分の時間に好きなことを色々やってきたからこその発言だと思う。
けど、私から見たら母は好きなことをやっていたと思うし、
病気で残された時間が短かったからこそできたことではないのかな。

そう思うと人は作り上げようと思えばいくらでも可哀想な人になれるな〜
例えば、私だったら母を亡くしたこともそうだし、
結婚したのに一緒に住めていないこととか
全くスタイルの良くない体型とか
正社員として働いていないこととか
ある意味全て可哀想!!!!笑

けど別の人から見たらそれが、
自分の好きなことを仕事にしたり時間の使い方を見直すきっかけになったり、
パートナーとの時間の使い方を考えることができたり、
体型が健康的でいいねと言われることもあるし(フォローかな笑)
時間を自由に選択できるとか、
いくらでもプラスに言い換えることができるな、と。

だから自分では思ってもいないのに、誰かの影響で
自分は可哀想な人と思い込んでしまうなんてこんな勿体無いことはないと思うな〜
だからそこ、私自身もプラスの言葉で話をしたいと思ったし、
これからも可哀想という言葉の使い方には気をつけたいなと思った日でした!


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