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世界は私の内側の投影なのだから。

義務感なく、するりと自然に、祈る。

祈りなんて本当に、なんの生産性もない行為。
だけど、私と関わってくれる人々と、その周囲の人々が笑顔になれる日々を過ごせるなら、私の世界は「笑顔」で溢れる。
から、その世界観の選択を、何気ないときに行う。


なんてことをしていたときに、今朝、ふと気付いた。

私が仲良くしている人たちは皆、「仕事が辛い」と言っている。
20年来の友人達も、以前の職場の人たちも、「仕事が嫌」「辞めたい、けど辞められない」と言っている。

「仕事が楽しくて仕方がない」
という言う人は皆無だ。

皆が皆、同じように「仕事が辛い」と言っていることに、今まで1mmたりとも違和感を感じてこなかった。

【仕事って辛いよね】という話を聴き、《やっぱり仕事って辛いものだな》と確かめる、確認する、証明してきたように感じる。


これって、世の中の全ての人が【仕事は辛いもの】と認識しているのではなく、私自身が【仕事は辛いもの】と認定し続けていたから、それを肯定すべく、私の周囲の人たちが口を揃えて【仕事辛すぎ―】と言ってる。

私の思想、思考、思い込みを、
周囲の人たちが証明、悪い意味で肯定してくれてたということ。


ということは、だよ。
私が、大切な友人達に【仕事辛い】と思わせちゃってるわけ。

これはなんと、申し訳ないことをしてきた!
とめちゃくちゃ、反省しているところ。
だから、今回のnoteは懺悔でもある。


確かに、確かに、私が勤めた所。
人間関係は常に良好だけど、皆、業務に対して不平不満を感じていたし、言ってた。
で、私が辞めると、それが更に悪化してる。
なぜなら、私がそこで働くことが嫌になったから。
私が【人間関係は良いけど、この職場で働くのは嫌だ】という気持ちを置いて、辞めてきてるから。

辞めた私は解放されるけど、残されている人たちは【この職場で働くのは嫌だ】という私の思想に縛り付けてしまっている。


言っていることが分かるだろうか。
私の中で未だに、【あの職場ではもう働きたくない】とか【労働は辛い】という想いがあるから、友人達は私の想いを代弁している。

本当に、申し訳ないことをしている。


ただ、ただね。
私は最近「働くって楽しい」になっている。
そして、「皆が楽しく働けるといいな」と本気で想っている。
そして、それを祈っている。

だから、徐々に変わっていくだろう。
皆が楽しく、意欲を持って、モチベーション高く、活き活きと働けるような状況になっていくだろう。

なぜなら、私がそうなっているから。

世界は私の内側の投影だから
私が仕事は楽しいと思っていたら
私の周囲の人たちも自然とそうなる


その世界に移行するために私に出来ることがあれば、喜んでサポートする。

私は「好き、大切、大事、仲良くしたい」と思っている人だけと関わっているから、その人たちが「楽しい、嬉しい、充実、満足」と感じられる世界を私は創りたい。

皆で集まって飲みながら不平不満で盛り上がるより、楽しくてハッピーな話で盛り上がりたいものね。


で、そんな反省と、今後の方向性を決めたとき。
私に「今」できることは、やはり「祈り」だ。
祈りは、思い立った時すぐにできるからね。

ほんと、生産性とかないし、結果も分からないけど。
それでも、人はできることしか、できないから。
私は「祈る」のだ。

神様お願い~みたいな、他力本願な祈りじゃなくてね。
私の内側の奥底からの、祈り。
私の意識を投影させるための、祈り。


性別関係無く
年齢関係無く
肩書きや役職とか関係なく
笑顔は誰でも素敵だ


いつも真顔というか無表情だった人が、最近チラッと笑顔を見せてくれるようになったんだよ。
ちょっとはにかんだような、チラッとした笑顔。
「おじさん」と位置づけられる人なんだけど、私は「お!」って嬉しかったし、なんか安心したよ。

人の笑顔が見られるって幸せだし、それを素直に「あ、嬉しい」って思えるマインドに在る自分も嬉しいし、幸せ。


このnoteにも、
皆が笑顔にな~れ♡という「祈り」を込めている。
実は真剣に、エネルギーを込めている。

即効性はなくても、気付かないレベルでじんわりと、世界は変わっていくから、大丈夫。

変化って、グラデーションだから。
一瞬で変わるもんじゃない。
振り返ったときに、ふとした瞬間に、変化してたことに気付くんだよ。


そんなきっかけになったら、私は嬉しい。

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