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《近況》豊かさが拡大する世界へ

見ず知らずの人が私の盾になり、私を守ってくれる。
息子は上級生に可愛がられて楽しそう。

心も身体も安定している。
直感に従って動くことが楽しくて充実している。

そんな日々を過ごしている。

最近、掃除熱が上がっていて
「あ」と思ったときに掃除をしたり、断捨離をしている。
目に見えてスッキリすると、満足する。
完全なる自己満足。
義務にしていないから苦でもない。
(毎朝の掃き掃除は日課)


現実が、具体的に何か変わったわけじゃない。
でも、私の心境や立ち位置は確実に変わっている。
根拠のない安心感や幸せな感覚は確かにあって、上手くいかないことはあっても、引きずらない。

自己肯定感、自分の存在価値は確実に上がっていて、「誰か/何か」がなくても揺るがないような状態になってきている。

何の生産性もない直感由来の行動も楽しくて、
「こうなるといいな」を想像している時間が楽しかったりする。

何かをやっていても、
何かをやっていなくても、
不安や不満はほとんど感じない。


時折、この何とも言えない豊かさのような感覚が身体中に拡がって、じんわりと暖かくなり、更に「今」という時間を噛みしめる。


純粋に「こうなりたい」と思ったときに直感が降りてくる。
この直感が、先程書いたように何の生産性もないことだったりする。
自己満足だったり、ただ一人楽しむだけだったりする。

今までだったら生産性のないことに対して「何の意味もない」と無視をしていたけれど、生産性はなくとも「楽しい」「嬉しい」「充実感」という自分を満たすことに繋がることを知り、できるだけ直感を採用している。

「今後何かに繋がるかもしれない」など一切考えず、「こうなりたい」の過程のひとつとして楽しむことを、私は長らく忘れていたことに気付いた。

純粋な想いに対して自分を動かすことは、とても楽しいことである。
子どもの頃はそうやって時間を使ってきた。
だから夢中になったし、探究心も大きくなる。

本当に、すっかり忘れていた。
やることは違えど、根本は同じ。

とても良いことを憶い出せて嬉しい。



話がどんどん変わってゆくけれど。

最近、大学生と関わることが多い。
そしてなぜか、将来の不安を打ち明けられる。

「こうなりたいと思っているけど、それでいいのか」
「ダメだったときが怖い」
とか。

私が伝えるのは、
「違和感は無視しないほうがいい」
「ダメでも何度でもやり直せる」
「37歳の私ができるから、あなたの可能性は更にたくさんある」
「反対する人がいるなら言ってやれ、そんなに言うならお前がやれって」
みたいなこと。

大学生の子たちは素直に「あ、そっか」と受け取ってくれる。
本当に良い子。
だから私は「大丈夫だよ」って最後に言う。


別に何かを成し遂げてるわけでもない私に不安をポロッとこぼしてくれるから、人生なんてこんなもんかって諦めて欲しくなくて、何か色々言ってしまう。

素直で良い子って分かっているから、幸せをたくさん感じられる人生になるといいな、とこっそり願っている。


最後に私が先週あたりに腑に落ちたことを書いておく。

私が今この瞬間に存在していることが
「全てが在る」ということの証拠・証明である


私が見ている・感じている世界は私無しでは存在できない。
私が見ているもの、認識しているものは、私が在って初めて存在できる。
だから「全て在る」がデフォルト。

「在る」のに「無い」としているから、違和感や不快感が生まれる。
存在と認識が歪んでいるから。
歪みがあると本来の姿が見えなくなる。
違うものに見えてしまう。

夜は幽霊が出ると認識していると、帰宅中の夜道で植木が人に見えてしまうように。


だから、
「世界は優しい」「世界は豊か」だと認識していれば、「全て在る」と同調して、そういう世界が創り出される。

私は、認識を変えるより先に「全て在る」を腑に落とせなかったから時間がかかったような気がする。

「全て在る」が分かった今、タイムラグを大して気にしなくなった。
「もう在るからなぁ」で終わり。

「幸せ」は誰かと比べるものではないと、本当に思えるようになった。
「私の幸せ」が分かっている私は、私の幸せな世界を生きるしかないからね。


10月も素敵な時間をたくさん過ごしましょう。

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