何だか良く分からないがマルハラというのがあるらしい
マルハラというのを知ってるだろうか?
〇〇ハラスメントはいっぱいあり過ぎてもういいやって感じがするけれど、これはちょっと違う感じがしたので調べてみた。
私にとっては最近の知った話なんだけど、もうすでに古い話なのかも知れない。よくご存知の方はすっ飛ばしてください。
マルハラのマルは句点の「。」だというから驚いた。
「わかりました。」
この表現が若い人たちには怒っているように感じられるらしい。理由は淡々とし過ぎているということのようだがイマイチよくわからない。
よく聞いてみると「。」がそういう感情を引き出しているようで、これを「マルハラ」といい、新しいハラスメントの登場となった。
また「了解しました。」などもそうで、挙句は「はい。」でもハラスメントなんだそうだ。
若者文化に迎合するつもりはないが、あえて波風を立てる必要もなく、できることなら穏便にと思い、先日から note の中でもできるだけ「。」を使わないようにしてみた。だがこれが意外と難しい。
私は絵文字、顔文字の類をほぼ使わないから「。」がないと終わりに全然締まりがない。
また、この現象が仲間同士だけの話なのか、ビジネスレベルにまで波及しているのかは確認が取れていない。
ビジネスレベルにまで波及しているとなると、文字を残すことは危険以外の何物でもないことになる。
note でのコメントのやり取りは1ターンが普通とされているようだが、LINE などではコメントのやり取りが頻繁になることも多い。
その中で文末に句点を入れるとズバッと強制終了されたように感じ、連続性も失われ、なんなら個人の関係性まで切られたように感じるらしい。
私にはまったくない感覚なのだが、自分の LINE を確認してみると、文末には何も付けないパターンが多い。短文ゆえかと思い長文も探してみたが、文中に「。」はあっても文末にはないパターンが多い。若い方たちにはなくて、年配者にはきちんと「。」を付けている。
LINE をお使いの方は過去のやり取りが見れると思うので果たしてそのように感じるものなのか一度確認されるといい。
ではどうすればいいのか?
残念ながら統一された答えはない。
わかりました
わかりました。
わかりました!
わかりました~
わかりましたー
これ以外にも絵文字や顔文字を付けるパターンも含めると無数にあり過ぎて万能な解答が見つけられないのだろう。
確かにそれぞれで受ける印象は違いそうだが、だから? という思いは拭えない。
我々のような少なくともパソコンやスマホを使っているレベルの年寄りは今後益々若者とのやり取りが難しくなるのは必定のようだ。
最後になるが、最近の学生さんは用があったらすぐ電話するとも聞く。
つまり文字にしないということだ。
今までの話の内容を根底から覆すようなオチが最後にあった。
若者恐るべし。
因みに句読点だが、少し考えれば分かるはずなのに、ずっと句点が「、」読点が「。」だとこの歳になるまで思っていた。いやお恥ずかしい。