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覚えていて

君は覚えてないだろうけど、お互いの飼ってた犬たちが大の仲良しで毎日のようによく一緒に散歩したんだよ。それから犬は犬同士で遊ばせておいて、そのまま公園で夜の遅くまで話してたんだよ。それこそ親が心配して迎えに来るくらいにね。

君は覚えてないだろうけど、君は僕の彼女だと噂されていたことがあったんだよ。君はそれを聞いて僕に「そうだっけ?」って言ったことがあったんだ。僕は返事ができなかったんだよなぁ。

君は覚えてないだろうけど、君の家が材木屋さんだったから木場で秘密基地を造って遊んでたんだよ。ブルーシートを引っ張ってきて屋根を造ったり、小さめの板を動かして囲いを造ったり。バレて君のお父さんにこっぴどく叱られたよね。

君は覚えてないだろうけど、「ああむかつく」って言って僕の頬にビンタしたことがあったんだよ。痛かったけどすぐに謝ってくれたから僕は怒らなかったけど理由を聞いても教えてくれなかったんだよね。

君は覚えてないだろうけど、そんな横暴なことのできる相手は僕くらいだということを君は分かっていたのかなぁ。他の人になら大問題になってたかもしれないね。そういう意味では君は賢明な判断をしていたのかもしれないね。

君は覚えてないだろうけど、君がくれた年賀状には「今年もあと364日、よろしく」って書いてあったんだよ。なんだこれって大笑いしたんだよ。君は考えも行動も突拍子もないことは知っていたけど、これは想像できなかったなぁ。

君は覚えてないだろうけど、中学へ上がる前の春休み、君が引っ越す前日、僕の頬にチュッてしてくれたんだよ。今までありがとうってことだったのかなぁ。何も言葉を交わさないまま離れ離れになっちゃったよね。

君は覚えてないだろうけど、次に君に会ったのは20年近く経った同窓会だったよね。当時の担任が教頭になって母校に帰ってきた記念の同窓会だったよね。すっかり大人になってるのに面影が見て取れるのって面白いよね。

君は覚えてないだろうけど、20年近く会っていなかったし、お互いに結婚もしていたのに会った瞬間、当時の綽名で呼びあえるのってとっても不思議だったよね。

君は覚えてないだろうけど、一次会も二次会も別の席だったのに突然「もう帰ろ」って言いに来たよね。どこに住んているのかも知らなかったし僕のことだとは思わなかったけど綽名を呼ばれて気が付いたんだよね。

君は覚えてないだろうけど、「うん」と答えてみんなに別れを告げて少し冷やかされながら一緒に店を出たんだよね。急に腕を組んできて驚いたんだけど「もう少し飲む?」って聞かれてまた「うん」って答えたんだよね。

君は覚えてないだろうけど、次の店で互いの結婚生活の話しになったんだよね。旦那さんはお医者さんで君は看護師なんだってね。そして子供が欲しいのにできないと嘆いてたんだよね。

君は覚えてないだろうけど、そこそこに飲んでさあ帰ろうとなったんだよね。家の場所を聞くと同じ方向だとは分かったんだけど僕の家の方がずいぶん手前なのに「送って行け」ってことになったんだよね。

君は覚えてないだろうけど、乗り込んだタクシーの中で僕の手を握ってきたから「寄り道してく?」って聞いたら「うん」と答えて握る手に力がこもったから一夜だけ一緒に過ごしたんだよね。

君は覚えてないだろうけど、次に君に会ったのは僕が体調を崩して入院した病院に君が務めていたんだよね。君の名が旧姓だったから離婚したのかと思ってたんだけど、実は僕も離婚してたんだよね。

君は覚えてないだろうけど、お互いに停年してから一緒に住み始めたんだよね。二人の間に子供はできなかったけれど、子供の頃のように楽しく過ごせているからいいよね。

君は覚えてないだろうけど、ずいぶん長い時間を一緒に過ごしてきたよね。僕の綽名は全然間違わずに言えるのに、朝ご飯を食べたかどうかが分からないなんてちょっと困ってしまうよね。

君は色々忘れてしまうけど、僕の綽名は覚えていてね。

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