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内省的な観察-2



かたい、やわらかい、かわいている、しっとりしている
あたたかい、つめたい

まだ暖かいかもしれない、そこに人がいた痕跡、何かがあった痕跡。
使えばシワがついて、その表面は海のよう。
朝日が窓から差し込んで、その波間に深く影を落とす。

苦しんでいるのですか、とぼくは訊いた。
苦しむ主体が問題なのです、と医者はいった。

生と死の間にこれまで曖昧な領域が広がっているなんて知らなかった。


ただ抱きしめて欲しかった。
ただただ、必死だった。
布団と壁の間の隅っこに頭を突っ込んで。
かと思ったら、1時間以上ずっと天井を見つめている。
興味を持って欲しかった。もっと話して欲しかった。
提案して欲しかった。お互い様でありたかった。
たまには誰かに、優しくされたかった。

灰色の領域を増やし続けた。
そうなんじゃないか、と何度も思う。
もしかしたら自分はそうなのかもしれない、といつも思う。
衝動に収拾がつかなくなる。
嫌気が差す。
決められたことができず意見を言わず見下されることを気にしている。




眼だ、と僕は思う。
何かを失わないように、誰かを見失わないようにある複数の眼。
些細なものを取りこぼさないように、どんなものでも見ていられるようにしている眼だ。

そんな自分に息苦しさを感じて嫌気が差す。

肥大化したそれは重くて、硬くて、不自由で、
何もない時に感じたそのやわらかい光はもうそこには存在しない。


ここに僕の人生は記録されているだろうか、
ライフログを呼び出して、自分の伝記を編集するよう指示すれば、今、僕がどう生きていくべきかかわかるような、そんな物語を紡ぎ出してくれるだろうか。

そこで僕は、記録ばかり探し求めている自分に気がつく。

ログ、ライフログ、そんな外部記録なんかより、自分自身はどう生きていたいと思っているのだろう。

そこで僕は気がついた。僕が自身の望みを探ろうと考えているのは逃避にすぎない。だって僕には、自分がどう生きていきたいかなんて全く想像できなかったから。

家の中を動き回る僕を、部屋の向こうから、キッチンから、絶えず見つめ続ける目線。階段を降りるとき、食事を終えて自分の部屋に戻る時、僕の肩や背中にまとわりつく一対の瞳。

僕は絶えず見つめられていた。絶え間なく。

どんな時にも、その視線をどこか後頭部の漠然とした領域に感じていたことだ。

見つめられることの安堵は、息苦しさの裏返しにすぎない。


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