小人の旅だより(4)南イタリア第2の街バーリ
バジリカータ州のマテーラから電車に乗って、東海岸にあるプーリア州の州都
バーリに向かいました。車中からひたすら続くオリーヴの樹と果樹園を見ていました。
もう20年くらい昔に、イタリア半島のブーツの踵の先っぽへと急ぐ途中、車でバーリを通りかかりましたが、夜だったので、今回この街は初めてくるようなものでした。バーリは、南イタリアではナポリに次ぐ2番目に大きさい都市です。電車を降りて、宿にチェックインできる時間まで、時間を潰さなければなりませんでした。というわけで、スーツケースを荷物一時預かり所に預けてから、街を見て歩くことにしました。「この中央駅から旧市街に行くのはどうしたらいい?」と聞くと、荷物預かり所のおじさんは「旧市街は駅前からもう始まってるよ。大通りをまっすぐ行くと、お店がいっぱいあって、有名な教会やお城もあるよ。その向こうは海だ。港も見える。行って帰って、1時間くらいだよ」と親切に教えてくれました。人当たりがやわらかい街かもしれません。駅から伸びる大通りに足を踏み入れると、途端に駅の忙しなさから、生活を楽しむ空気に飛び込む感じがした。それは観光客の賑わいではなく、その街に住む人たちの生活。地図を見ると、目抜き通り沿いに大学があります。大学が旧市街のいい場所にあるということは、古くから大学があるということで、それはその街の文化度の高さを示しているのです。南欧らしく、街中にもソテツが茂っています。さまざまなお店、ブランド品店が立ち並び、新旧の建築が程よく混ざっているようでした。
大通りから、さらに区画が狭くなるあたりもさらに直進してみると、そこはとても古い街区のようでした。人の流れに何となく付いて行くと、大きな教会の前に出ました。あまり時間がないので、外から見るだけにしようか、と考えていると、協会とは反対の方から、たっぷりと盛られた、実に美味しそうなジェラートを食べながら歩いている女性が来ました。今は、教会よりジェラートか、とふらふらとジェラート屋さんを求めてそちらの方に引き寄せられて行きました。そして、確かに長蛇の列のジェラート屋さんは見つかったのだけど、なんと立派な城がそこには構えているではありませんか。
これは、イタリアのユーロ硬貨の一つに刻印されているカステル・デル・モンテ(バーリと同じプーリア州にあります)の主、フェデリコ2世の居城。カステル・デル・モンテをかつて見に行った後、他の城も見てみたい、と強く思っていたのですが、バーリに重要な城があることをすっかり忘れていました。それにしても細い路地を通り抜けて、急に開けたところに大きな城があるというのはすごいインパクトです。バーリはすでに紀元前1700年位からの人の生活の痕跡があり、古代ギリシア、アラブを経て、中世にフェデリコ2世の治世の元、繁栄期を迎えました。フェデリコ2世はこのプーリア州に誕生し、9ヶ国語を話し、アラブの文化も理解したために、十字軍遠征の時、無血でイスラエルをヨーロッパに奪還したただ一人の王様で、言ってみれば中世のスーパースター的存在です。最終的にはドイツ、シチリア、そしてイタリア半島の三分の一をも占める広大な領土を支配したのです。スイスの歴史家ブルクハルトからは「早くから事物を完全に客観的に判断し処理することに慣れていた、玉座に位した最初の近代的人間」と評されています。南イタリアに来ると、18世紀、19世紀に始まった近代国家の枠組みが太古の昔から変わらずにあった訳ではないことに気付かされ、思考の枠組みが一部取り払われるのが、実は心地良いです。
中は博物館になっていて、教会の柱の上の部分やレリーフなどが見られます。この地方の顔の造形はややアジアに近い独特のものがあると思いました。ここはイタリアと言っても、プラハやウィーンより東にあるのです。
博物館の上の階の奥の方に、フェデリコ2世の頃は宴会場として使われた部屋があります。足を踏み入れた時、ギョッとしたのは、薄暗い空間で人影が動いたからです。落ち着いて見たら、文字通り人影で、当時の人の姿を映写しているのでした。映像がないと、がらんとした大きな空間ですが、このように大宴会の様子の映像を映し出すことによって、往時の様子がもう少し感じ取れるようになっているのです。
城の見学を堪能した後、城の前にあるジェラート屋さんの前の行列に並びました。ジェラテリアの名前はGentile (ジェンティーレ)。予想に違わず、今年一番美味しいジェラートでした。