世界の終わりが終わった後に
10年ほど前、今以上にドラムが初心者だった頃、組んでたバンドでミッシェル(THEE MICHELLE GUN ELEPHANT)のデビュー曲「世界の終わり」を演奏する機会があった。
初心者の私には難しかったが、練習しているうちにその曲のことが大好きになっていた。
ギターのリフもさながら、その歌詞の世界観に虜になっていた。
仕事をしていても歌詞が、歌が、ずっと頭を回ってるくらいのめり込んだ。
サークルのライブで初心者ながらトリを務めることなり、世界の終わりでそのライブを締めた。
その時のいいようのない高揚感、充実感は10年以上経った今も鮮明に覚えている。
そのバンドはしばらくしたら解散し、メンバーとも縁は切れていた。
私はそのバンドがきっかけで「チバユウスケ」というバンドマンに心酔するようになり、きっかけとなったメンバーと縁が切れた後もずっとチバさんのバンド…The Birthdayを追いかけていた。
地元や大阪でライブがあればたいてい一人で参戦していた。
ライブに行く度に、また彼の曲をやりたいなぁという思いになるものの、その機会は一切なかった。
チバさんを好きで、ギターを演奏できて、歌える
そんな人に、、地方の一都市でしかない神戸で、再度狙って出会えるはずもなかった。
もう二度と演奏することはないんやろな、、
そう思いながら10年の月日が流れた。
日本でコロナ禍が起こり、バンド活動もかなり制限をされていた。
コロナ禍前からやっていたB'zのコピーバンドは活動していたが…
ようやくライブがやれそうな感じになってた矢先にベースが脱退することになった。
その時に他に知り合いもいない状況を痛感し、このままこのバンドだけやっててもダメだと思うようになった。
一念発起して、バンド以外で活動できるサークルを探すことにした。
その時の私は、本当はまだ人とそんなには交流したくはなかった。
でも背に腹は変えられない、という思いから、なんとか気持ちを奮い立たせていた。
紆余曲折を経てようやく続けられそうなサークルを見つけて、何度か参加していた矢先、チバユウスケが好きで元々コピバンの活動をしていた人が入会してきた。
初顔合わせの時、早速話かけてその人とThe Birthdayの話をしていたら、他のメンバーが声をかけてきた。
「次、世界の終わりやろうよ」
その流れのままなんとその場でエントリー。
その時の私はすぐに演奏でどうのこうのするつもりはなかったので、突然のことに面食らってしまった。
え、ちょっと待って、、世界の終わり、ライブで演奏できるの⁉️
こんな流れってある???
私は右の手首が腱鞘炎になったばかりの状態だったが、そんなことはもはや関係なかった。
絶対に当日までに治す。
治ってなくてもやる。
慌てて腱鞘炎に詳しそうな整体を探し、先生がやるといいよと言われたことは全てやった。
あまりの熱心さに先生もそこまでやらなくてもいいよ、と言われる始末(笑)
先生と相談しながら週1のスタジオの個人練習はキープ。
その練習の日々がもう楽しくて楽しくて…
演奏できる日を心待ちにしていた。
そして当日
前奏始まって歌が始まっての数小節
背中からブワッと電流のようなものが走った
全身がゾワゾワしてくる
込み上げてくる気持ちを抑えて演奏するのが本当にたいへんだった。
あとは夢中になり、なんとか無事に世界の終わりは終わった…
全身虚脱…しばらく立つのも危うくずっと椅子に座り込んでいた。
まさに燃え尽きたとはこのこと。
少し落ち着くと
ああもう来週から練習することもないのか…
と、いいようのない寂しい気持ちになっていた。
でも、、やりきったからよし!!
間違いなく「今年前半の大一番のステージ」だった。
今回は本当に奇跡的なきっかけだったけど、様々な状況からしておそらく私がこの曲を演奏することは二度とないだろうなと。
この「世界の終わり」は終わってしまった。
でも実は、この話には続きがある。
世界の終わりが終わってから始まる話…
もし続くことがあれば、またnote内で更新していこうと思います。
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